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【陰謀論】神真都Q裁判傍聴録(その2)

前回の続きです。

前回は、裁判についての概略と、神真都Qという集団の成り立ちや事件の経過についてまとめました。神真都Qは活動の多くの部分を誰でも閲覧できるオープンチャットなどで堂々と話し合っていたので、この辺の情報はウォッチャーにとっては既知のものが多かったかと思います。

今回は証言内容の紹介によりウェイトをおいて、組織のよりディープな部分について論じてみたいと思います。

(筆者撮影、10月16日)

※メモは証言の大部を記録し、書き起こしの際に記憶をもとに補完したものですので、一言一句同じ発言があったわけではありません。

傍聴録

彼らは「洗脳」されていたのか?

前回の記事で筆者も言及しましたが、神真都Qはしばしばオウム真理教と比較されて語られることがあります。スピリチュアルな世界観、主流社会への敵愾心、土地を取得し「エデン村」なるコミューンを作ろうとしていた形跡、おかしな歌や踊りを作っていた点などは確かに類似しています。

元オウム幹部のマイトレーヤ正大師こと上祐史浩も、倉岡らの最初の逮捕の際に以下のようにツイートしていました。

ウォッチャーの多くは彼のいつもの便乗癖だと思ってあまり気に留めていませんでしたが、先述した『治安フォーラム』ではこのツイートに特別の言及があり、「エデン村」とともに公安警察も彼らを「オウム予備群」的な扱いで警戒していたことを伺わせます。

オウム真理教では、高位の信徒に対しある種の「洗脳」を施し、殺人を善行と認識させテロを実行させていました。取り調べでも自らの主張を崩さなかった者や、生涯麻原への帰依心を持ち続けた死刑囚もいました。

では、神真都Qはどうだったのか?実は、今回裁かれた5人の被告人全員が、事件に対し謝罪と反省の弁を述べています。検察官もこのことを認定した上で責任の重さを主張しており、基本的に被告人たちは犯行を後悔していたようです。

被告人・最終陳述

中川被告人:恥を忍んで、真摯に反省し、人のことを考えられるようになりたいと思います。
三輪被告人:大変申し訳ありませんでした。このようなことは二度とないようにしたいと思います。
高野被告人:このようなことが二度とないよう、深く反省します。
倉岡被告人:社会にご迷惑をおかけし、被害者の方に恐怖を与えてしまい、大変申し訳ありませんでした(頭を下げる)。
平野被告人:今回、更生の機会を与えていただいたことに感謝いたします。

被告人の多くは、取り調べの段階で自らのしていることが悪行であること自体は認識していたことが伺われました。

平野被告人・本人尋問

弁護人:じゃあ、改めて調書の内容については認める?
被告人:捕まった当初は人様に迷惑をかけてしまったことを伝えましたが、それを上回る正当行為をしていたと当時は思っていたので、それについて話しました。

中川被告人・本人尋問

弁護人:あなたは最初の供述で、自分のしたことは正当行為だとしながらも「相手も嫌だろう」というような表現が散見されるのだけど、なぜそれでも正当行為を主張したの?
被告人:自分のしていることの正当性を伝えるためでした。

これらの供述からは、被告人の心の中には善悪の間でのせめぎあいがあったらしいことがわかります。情状を認めてもらうための作文の可能性もありますが、前回記事で挙げた焼津事件の際の「本部通達」や、別件の公判の被告人の「仲間の中にも感情的な部分で反対する人はいた」という証言を併せて考えると、信憑性は高いように思われます。

しかし、神真都Qは元々警察に許可を取ってデモ行進をする団体だったはず。なぜいきなり犯罪行為へと羽ばたいてしまったのか?この点を追及されたのが三輪被告人でした。被告人の妹は、彼女の性格を次のように語っています。

三輪被告人・証人尋問

弁護人:被告人の性格はどうだった?
証人:真面目で物静かな性格だと思います。
弁護人:まあ、そのイメージは今回の事件で全く逆になってしまったんだけども、逮捕されたということはどうやって知った?
証人:母親からです。電話がありました。
弁護人:事件のことはどうやって知った?
証人:母親から聞いてから、インターネットで調べました。
弁護人:その時どう思った?
証人:そういうタイプではないと思っていたので、驚きでした。

被告人は、東京ドームではバリケードを張ったり、新宿区立元気館では問診中のカーテンを開け、ほしなこどもクリニックでは診察室の扉を無理やり開けようとしたりとかなり過激な挙に出ています。弁護人がツッコむのもやむなしと言った感じです。

本人尋問の冒頭、弁護人は被告人の豹変の根源を探ろうと様々な質問をしていました。少し長めに引用してみます。

三輪被告人・本人尋問

弁護人:あなたは新宿サブリーダー、それからアライアンスリーダーという立場についていた。妹さんが言うようにそれはあなたの普段のイメージとは違うように思えるけど、なぜ引き受けたの?
被告人:最初のデモに参加した後、第2回のデモの時には手伝いたいなと思い、デモの際に手伝いをしました。その時のリーダーからサブリーダーになってほしいという話があり、会を手伝いたいという気持ちから引き受けました。アライアンスについては、子供を助けたいという気持ちがありました。
弁護人:ある種、仲間ができる世界というか、デモを行うことで連帯があったのかな?
被告人:デモに参加していない人にも気づいてほしいという気持ちがありました。
弁護人:連帯感から活動を広めたいという気持ちがあった?
被告人:その時はワクチンを打つと死んでしまうと思っていたので、早く気づいてほしいという思いでした。
弁護人:そういう気持ちを持つことから、接種会場に侵入するという行為までには飛躍があると思うんだけど、ある種高いハードルを超えてしまった理由っていうのはあるの?
被告人:ちょうど子供の接種が始まった頃で、デモだけだとだめというか、接種会場で伝えたいと思っていました。
弁護人:流されていく感じがあったということ?自然にそういう方向になったのか、それとも抵抗感があった?
被告人:初めて聞いた時には抵抗はありました。でも、やっていかなきゃ、という気持ちでした。

(前回説明し忘れましたが、「アライアンス」とはデモの計画や接種会場の襲撃を意味する会内でのスラングです。多分、村井が光の軍勢のことを「アライアンス連邦軍」と呼んでいたことが由来だと思うのですがよくわかりません)

ここで、弁護人は結構重要な証言を引き出しています。「抵抗はあったが、やっていかなければいけなかった」という部分です。他の被告人にも似たような証言がありました。

平野被告人・本人尋問

検察官:東京ドーム、元気館、渋谷のクリニックであなたは主張を訴えましたが、元々はデモ行進をしていましたね。それが建物に押し入るとか、会うとか、妨害行動をとることには葛藤があったのですか?
被告人:やりたくない気持ちはありました。これは皆がそうだと思いますが、やりたくなくてもやらなきゃ、という気持ちでした。

中川被告人・本人尋問

検察官:あなたは新宿元気館での反応を認識していたにも関わらず、渋谷のクリニックにも侵入していますが、自分の考えより会の方針を優先したのですか?
被告人:私は千葉ブロックから参加したんですが、週一回はアライアンス行動をしなければいけないとリーダーから言われまして、千葉ブロックというのは二人しかいないものですから、二人だと何も出来ないと。だから東京の方に行ったんです(苦笑)。

高野被告人・本人尋問

検察官:計画を立てたりというのはどのような気持ちで行っていましたか?
被告人:当時はとにかくスケジュールを立てなきゃ、ということで精一杯でした。今はそのようなことは決してしません。

(備考:別の刑事裁判を受けた被告人からもこのような証言があったようです)

これらの証言を見ると、「アライアンス」は上層部、とりわけ村井の命令によって半ば無理に動員をかけられた面が浮かび上がってきます。少なくとも殺人を善行だと本気で思い込まされていたオウム幹部の証言とはかなり様相が異なっています。

筆者は、今回のケースはいわゆる「悪の凡庸さ」の一つとして数えるべきなのかもしれないと思いました。かの有名なミルグラム実験では、被験者が実験者を「権威」だと信じるように仕向けるだけで非人道的な行為に手を染めてしまうことが立証されたといいます。

村井も、サイキック能力があり、世界中で悪と戦う弟に対し意見が出来るとか、かつて兵庫のダムで爬虫類型宇宙人と戦って7回死に8回生き返っただとかいう話を会内で吹聴し、自らに対する権威性を与えていました。

本件の被告人たちはその村井の話を信じたことと、神真都Qという組織の論理に取り込まれたことによって、気に咎めるような行為でも無理に心の天秤を反対に傾ける心理が働いていたように思えました。神真都Qの結成宣言には「個々の自由意志を大前提とし」という文言があるのですが、聞いて呆れます。

また、もう一つ指摘できるのは、組織構築の根本的な欠陥です。前回述べたとおり、神真都Qには「執行部」や「管理部」という機関がありましたが、実質的には機能していませんでした。法人としての組織も同様です。

前回紹介したTと同時期に神真都Qを退会した元管理部のNという人物(一連の事件に関与しており、後に逮捕)は、当時、組織の実態について告発する文章を発表しています。一部を抜粋します。

皆様執行部や管理部は会の中枢とお考えだと思いますが、中枢部分に関わることは間違いないものの、実態は単なる雑用であり、私はその中でも会員やリーダーからの問い合わせや相談に対応したりといったことを主とする事務的なこと以外何もできない状態で、これまでを過ごしておりました。

会について思うことは多々ありますが、「甲兄のワンマン組織で、透明性の欠片もない団体」という思いが拭えない以上、もう私はここにはいられません。

通達に関しても同様で、代表が「文章を考えるのが苦手だから代わりにこういう内容で作ってくれ」と言われたものをその通りにして出してきました

ご報告0709」より抜粋

Nの、神真都Qに対する「甲兄のワンマン組織」という評価は、この裁判での被告人らの証言を聞いて得られるイメージとも一致します。そこから浮かび上がる事件の印象は、オウム真理教のような洗脳組織というよりも、中小企業のパワハラ問題のような感じがします。

つまり、当時の彼らは村井に心酔していたというよりも、村井に異議を差し挟みづらい心理にさせられていただけなのではないでしょうか。神真都Qのデモではよく「自分の頭で考えよう」などという文言が飛び出しますが、聞いて呆れます。

そもそも、組織としての問題というのは、現役のリーダーや幹部に犯罪を行わせ、みすみす逮捕させてしまった時点でも明らかです。オウム真理教で幹部がテロを行ったのはコントロールしやすく、かつ逃亡や証拠隠滅の手配が前提であったからであり、堂々と証拠を自ら撮影して公開していた彼らの判断はあまりに愚かです。

結局、村井本人も逮捕され、事件後に新たに幹部になったメンバーもほとんどが焼津の襲撃事件に関与していた為に軒並み逮捕されており、現在組織としての神真都Qはほとんど機能停止状態にあります。

神真都Qはしばしば「低学歴版オウム」などと揶揄されました。ここでいう「低学歴」とは「能力が低い」という意味なのでしょうが、筆者は二つの点でその見解には異論を持っています。

まず、オウム真理教自体高学歴集団というわけでは決してありませんでした。当時の教団のアンケート調査では大卒・院卒者は全体の4割ほどで、中・高卒者も同程度居たと言われています。宗教ブームの最中において教団には1万人の信徒がいたのですから、様々なバックグラウンドがあって当然だったと思います。

オウムが重要だったのは組織構築において適切な人材を適切な場所へ配置できたことだったと思います。その目的がテロでなければもっと大成していた可能性もあると思いますし、語弊がある言い方かもしれませんが、麻原彰晃にはそういう意味での一つの「才能」があったのだと筆者は考えます。

一方で、神真都Qにはそういう秀でたメンバーがいなかったのかと言われると、そういうわけでもありませんでした。流石に東大京大クラスの人材はいないにしても、会計知識や会社経営の経験など、なにかに役立てられそうなスキルを持つメンバーはそれなりに確認できます。

しかし、結局のところ村井には組織マネジメントに対する興味が皆無であり、それぞれの能力を活かせる場を与えられなかったのでしょう。幹部は自分に従いやすい手駒でしかなく、その場の思いつきを実験する相手としてしか見ていなかったのだと思います。

サリンを作ることは無理だとしても、もっと簡単に大量破壊を行う手段はいくらでもあります。そういう結果と現実の神真都Qとの間の距離は、想像しているよりも近かったのではないかと公判を聞いて思いました。

「光の弁護士」の実態

この事件で特異だったのは、その犯行自体だけではありませんでした。被告人らは逮捕された当初素直に供述に応じていたにも関わらず、ある日を境に突然黙秘に転じ、そしてまたそれを覆すという奇妙な対応に出ていたのです。

被告人らがそのような挙に出ていた原因は、当初に彼らの弁護人を担当していた二人の弁護士にあったといいます。会内で「光の弁護士」と呼ばれていた、木原功仁哉弁護士と南出喜久治弁護士です。なんとなくアパーヤージャハ正悟師こと青山吉伸弁護士の二つ名「真理の弁護士」を想起させます。

(神真都Q旧公式サイトアーカイブスクリーンショット)

両弁護士は「祖国再生同盟」という政治団体を主宰しており、日本国憲法は無効であり、大日本帝国憲法が現在も有効であるとする主張などを行っています。また、木原弁護士は昨年10月に国を相手取った反ワクチン訴訟を提起しています(一審敗訴により控訴中)。

この弁護士が当初国選弁護人から弁護を引き継いでいましたが、その後7月22日に解任され、代わって担当した弁護士が今回の裁判の弁護人を務めています(前回引用した倉岡証言の通り、手配したのは元理事のTです)。弁護人は、両弁護士の被告人らに対する指示について裁判の中で特に深く追及していました。

倉岡被告人の証言を、少し長くなりますが引用します。

倉岡被告人・本人尋問

弁護人:前任弁護人を選任、及び解任した経緯については?
被告人:選任した経緯については、村井大介が兵庫の木原弁護士の事務所へ行きました。そして、もし勾留されることがあったとしたら選任につくということになりました。

(ちなみに、詳しいウォッチャーによると、木原弁護士を村井に紹介したのは今回被告人らと別の刑事裁判を受けている被告人だと言われています)

倉岡被告人・本人尋問

弁護人:それは誰の意思だった?
被告人:村井の指令でした。
弁護人:渋谷のほしなクリニックの事件の時はどういう指示があったの?
被告人:やったことは正当な理由なので大丈夫だと、ただしやったことの事実は認めなさいと言われました。
弁護人:つまり、正当な理由があるから罪にならないと言われたということ?
被告人:はい。
弁護人:その後に弁護方針が変わったわけ?
被告人:木原弁護士の師匠である南出弁護士がつくという村井の意見があって、急に「黙秘しなさい。これは不当な逮捕だから、黙秘を続けなさい」と言われました。当時は外から情報が入ってこなかったのと、難しい文書を読まなければならず、精神の安定を欠いていました。「これで助かるのかな」と思っていました。
弁護人:あなたは調書の署名についても拒否しているよね?これも黙秘の指示のうちだったの?
被告人:南出弁護士には「君は経験がないのだから、私の指示に従いなさい」と言われました。

倉岡被告人・本人尋問

検察官:あなたは取り調べですべてを話したかったのですか?
被告人:一件目の渋谷のクリニックの事件では、質問には全て答えました。二件目の新宿元気館の事件の時には、南出弁護士がついてから木原弁護士も方針が変わりました

倉岡の証言によると、最初に選任された木原弁護士は証言に応じるように指示していたにもかかわらず、後から来た南出弁護士が方針を反転させたために奇妙な状況が生まれてしまったようです。

この結果、より悲惨なことになってしまったのが中川被告人でした。彼は身柄を送検されるタイミングで方針変更を伝えられたため、同じ日に警察に伝えた内容を検察に黙秘するという不可解な行動を強いられたようです。

中川被告人・本人尋問

弁護人:あなたも前任弁護人から黙秘しろと言われていたけど、検察官に対しては黙秘していても、警察にはしなかったよね?
被告人:逮捕された時は正直に話していました。ですが午後から木原弁護士が来て、黙秘を指示されて、警察の取り調べは午前中だったんですが、その後で木原弁護士が来て、それで検察に黙秘しました。

ところで、倉岡のいう「難しい文書」とは何かというと、それは両弁護士が書いた意見書だったと思われます。

倉岡被告人・本人尋問

弁護人:前任弁護人の意見書は読んだ?
被告人:はい。ただ内容が難しくて、正当な意見書だな、としか思っていませんでした。

この意見書は当時弁護士本人がネット上で公開していました。神真都Qの公式サイトから全文を読むことが出来ます。相当暇な方は読んでみても良いと思いますが、ここでは重要と思われる部分を抜粋します。

第四 無罪判決がなされるべき理由

可罰的違法性の不存在

1 本件は、犯罪構成要件を満たすものではないが、仮に、その該当性があるとしても、可罰的違法性がないものである。
2 可罰的違法性とは、個別の刑罰法規が刑事罰に値するとして予定する違法性のことであつて、本件においては、武漢ウイルスワクチンの接種行為は、死の結果を招く危険な大量殺人行為であるから、本来であれば他人の生命等を守るために正当防衛として接種行為自体を直接に実力で阻止することも可能であるが、それを行はずに、説明と説得といふ言論行為で中止を求めた平穏で節度のある行為にすぎないのであるから、その行為の性質において本来的な可罰性はない。

六 違法性阻却事由の存在

11 本件では、仮に、被告人らの行為が建造物侵入罪の構成要件に該当するとしても、正当防衛についての刑法第36条第1項に準じた祖国防衛権の要件として、1急迫不正の侵害があること、2防衛の意思があること、3防衛の必要性があること、4防衛行為に相当性があることのいづれの要件も満たしてをり、祖国防衛権の行使として認められるものであるから、違法性が阻却されて無罪なのである。

一見して非常に異様な内容であることがお分かりいただけるかと思います。なぜか全体が旧仮名遣いで書かれており、被告人らの行為は大量殺人を止めるために行ったもので「祖国防衛権」の行使であるから無罪だ、という主張をしています(また、引用では省きましたが、四の六の8で突然フラクタル構造の解説が始まったりしています)。

これを読んで「正当な意見書」だと思う倉岡も相当だと思いますが、勾留され先行きが不安な時にいきなりこんな文章を読まされれば混乱するのも致し方ないかもしれません。裁判の中では、両弁護士の言動が主に追及されていました。高野被告人の父は、木原弁護士との経験を疲れたような声で語っていました。

高野被告人・証人尋問

弁護人:弁護方針が変わったことは知っていた?
証人:一々連絡がありましたから。国選弁護人の方から保釈申請の書類が届いた矢先でしたよ。
弁護人:木原弁護士はそのことについてどのような説明をしていた?
証人:「悪くないんだよ」とさんざん言われました。書類にサインしてほしいというので、わざわざ原宿まで行きましたよ。サインをしたのは路上でしたが。選挙に立候補するというので忙しくなったんでしょう、連絡がなくなりました。現在については知りません。
弁護人:現在は連絡はあるの?
証人:非常にまれですね。
弁護人:そのことについて何を思っている?
証人:専門知識があると思っていましたから、素人が口出ししないようにしていました。
弁護人:今はどう思う?
証人:とんでもない話です。家のものとして恥ずかしいですよ。

木原弁護士は参議院議員選挙兵庫県選挙区から無所属で立候補し、25113票を獲得しましたが13人中9位で落選しています。5月初頭には村井からの声明として、木原弁護士が選挙活動に専念するため今後は南出弁護士にバトンタッチすると表明されており、このことは結果的に突然の方針転換に影響した可能性があります。

(ソース)

一方高野被告人自身は、塀の中で両弁護士からかけられた言葉について証言しました。

高野被告人・本人尋問

弁護人:前任弁護人に不信感はなかった?
被告人:南出弁護士には一番最初に会ったとき、というか、その一度しか会っていませんが、「まず私の指示に全て従ってもらいます」と言われました。「あなた達が逮捕されてワクチンの裁判になる」とも言われました。木原弁護士も「アピールの場になる」と言っていました。神真都Q会の様子について聞いても「会の現状については知らないけど、気持ちは同じだ」とか「私達はヒーローになる」と言われ、違和感を持ちました。

外の様子を不安に思う被疑者に対し「ワクチンの裁判をしてヒーローになる」と返す弁護士。また、中川被告人は、高齢の母親の面倒を見るため自白したいと申し出た所「ワクチンを認めるのか」と迫られ押し切られてしまったと話しました。

中川被告人・本人尋問

弁護人:他の逮捕者が取り調べを受けていて、待たされる期間が結構あったようだけど、何を考えた?
被告人:客観的に考えるということをしました。私達は主観的に考える部分があるんですが、客観的に考えてみると、接種会場に立ち入るということは許されないことだと。
弁護人:その時に調書を見直すことを考えた?
被告人:はい。
弁護人:そのことは木原弁護士には話した?
被告人:5月の××に、妻から「罪を認めて二人でやっていこうよ」という伝言がありました。その時は私にも立場があるということで断りました。木原弁護士に伝言のことを伝えて「家族が心配しているので早く帰りたい。90歳の母がいるので面倒を見たい」と話しましたが「それはワクチンを認めちゃうってことかい」と言われました。「行動についてだけ認めます」と言うと「だんだん会の方から人がいなくなっちゃうし、頑張るんだよ」と言われて、それで押し切られちゃった部分があります。
弁護人:つまり私が接見した時には「これではいけない」という気持ちが強まった?
被告人:はい。

弁護人は、両弁護士のこれらの言動に対し問題視する姿勢を見せていました。特に倉岡被告人とのやり取りではかなり感情がこもった発言も散見され、倉岡被告人から一つの結論を導いています。

倉岡被告人・本人尋問

弁護人:裁判資料は見ていなかった?
被告人:はい。
弁護人:そういうのは本来見せなきゃいけないものなんだけど、そういうことは知らなかったんだ?
被告人:はい。

倉岡被告人・本人尋問

弁護人:黙秘していた時は、黙秘しても保釈が通ると思っていた?
被告人:はい。
弁護人:つまり、前任弁護人の言うことを信じていた?
被告人:少し疑問に思っていた部分はあります。だんだん「これでは通らないんじゃないか?」と思い始めていました。
弁護人:前任弁護人から裁判の流れについては聞いていなかった?
被告人:はい。
弁護人:前任弁護人に対して意見をしたことはあったの?
被告人:解散したいということと、退会したいということ、その前に会に対して責任があるので、何とかしたいということは伝えましたが「今更そんなことをしても早く出れるかに関係ない」という一点張りの状態でした。

倉岡被告人・本人尋問

弁護人:保釈条件について、前の弁護士は私と違うことを伝えたよね?無罪を主張したら最初の裁判の後に出られるって。何故そんなことをしたと思う?私としては、弁護をするふりをしていたんじゃないかと思うんだけど。
被告人:今考えると、反ワクチンの弁護の駒にされていたのだと思います。

ここから浮かび上がってくるのは、両弁護士はこの事件を「反ワクチンのアピールの場」にすべく、「黙秘をしていても公判の後に保釈が通る」と被告人に伝えた上で「祖国防衛権の行使なので無罪だ」という主張を法廷で行おうとしていたという全貌です。これらの証言は聞いていて唖然としました。

では、なぜ被告人たちは弁護人をあるところまで信じていたのか?倉岡は「村井が選任した弁護士だから、助けてくれるだろうと思っていた」としていましたが、他の被告人はこのように述べています。

高野被告人・本人尋問

弁護人:あなたは黙秘中に「自分の考えと違うところがあった」というようなことを言っていたけど、それでも前任弁護人の方針に従ったのはなぜ?
被告人:「皆を守るため」と言われていましたので、自分だけがやめると皆を裏切ることになると思いました。

中川被告人・本人尋問

弁護人:そういう方針に対して違和感はなかった?
被告人:無いと言えば嘘になりますけど、会の方針として、「違法な逮捕だから戦うぞ」という感じでしたから、自分だけ引いたらみっともないなと思いました。

ここにもやはり、村井のワンマン体制による一つの強迫観念が働いていたことが伺えます。それは外の社会では接種会場の襲撃という点で外部への被害を与えた一方で、その後に被告人ら自身に対しても被害を与えることになったわけです。

弁護人は意見陳述において「前任弁護人は自らの立場を利用して極めて特異な主張を行い、本来依頼人の利益になるべき弁護士倫理を欠いていた」と主張し、被告人らは両弁護士の方針によって主張を伝える機会を逸していたとして、情状の酌量を求めました。

ちなみに、両弁護士は現在村井大介代表理事の弁護人を務めています。生活保護不正受給をいかなる「アピールの場」にするかが注目されます。

夢から醒めるとき

最終的に、木原・南出両弁護士は解任され、被告人は全員神真都Qから脱会し、供述に応じ、団体から決別する宣言をしています。そこにはどのような心境の変化があったのでしょうか。

倉岡被告人は前回の記事の通り、元理事のTから自らの信じる「甲」という人物が実在しないことを知らされショックを受けたことがきっかけだったようです。一方、平野被告人は別のきっかけがあったといいます。

平野被告人・証人尋問

弁護人:あなたは被告人にずっと差し入れをしていたよね?どういう意図だったの?
証人:真摯な反省をしてほしいという思いがあったので、差し入れをしていました。
弁護人:そういうことで、被告人が変わったかも知れない、と思うことは何かあった?
証人:あったような気がします。以前弁護士さんからは反省していないと聞いていたんですけど、結婚記念日があって、それから改心した感じがします。

平野被告人・本人尋問

弁護人:7月18日のことなんだけど、この時は調書について認めてるよね?なぜ態度が一転したの?
被告人:こじつけのようではありますが、その前日が結婚記念日でして、これ以上捜査機関に対して突っ張ってはいけないと、考えが急に変わりました。自分たちがしたことが正しいのかどうか、急に考えが変わったということを伝えました。
弁護人:それはきっかけみたいなことが何かあった?
被告人:直接的には、私の担当検事が親身に話を聞いてくれたことがあります。それと、差し入れをしてくれる家内のことを考えて、自分は正しいことをしたと思いこんでいたのではないか、という風に、何故か、というとおかしいんですが、思いました。
弁護人:つまり、以前から早い段階では気づいていたんだ?
被告人:はい。ですが、当時は正当行為だという気持ちのほうが上回っていました。あと、今話していて思うのは、家内との関係を壊すということ、このままでは家内と幸せになれないのではないか、と思い始めたのが、人様に迷惑をかけていておかしいかも知れませんが、今となっては思います。

前回記事のように、平野被告人は犯行当時、妻よりも世界中の子供を助けることのほうが大事だ、と主張していました。しかし、自分に対して病を押して差し入れを続ける妻の様子から、考えを改めたようです。倉岡も差し入れを続けるTに感謝の意を伝えていました。

三輪被告人の証言も印象的でした。彼女は勾留中にふと自らの行いを反芻するうちに、一つの出来事を思い出したといいます。

三輪被告人・本人尋問

弁護人:東京ドームの事件から調書を認めるようになったけど、きっかけみたいなものはあった?
被告人:勾留されてから長い時間があり、自分で考える時間が結構ありました。その時思い出したのが、東京ドームで接種が再開された時に、待っていた人の列から歓声があがってびっくりしたことでした。私の思っている以上に接種したい気持ちが皆さん強かったんだなと思いました。
弁護人:つまりそれは経験に基づいて自分で気づいたってことでいいのかな?
被告人:自分の中で考え直す時間が結構、黙秘している最中にあったので、これでいいのかな、と思い始めました

この時被告人は持病の悪化によって寝たきりの状態になってしまっていたといい、ある程度精神的な疲弊も重なっていたのかもしれません。しかし、中川被告人も言及していましたが、長い勾留中に自らを省みる経験というのが共通しているように感じました。

このような理由から被告人らは神真都Qの退会という選択をしました。木原弁護士は検察による「人質司法」の一環だと主張していますが、(ある程度そういう側面はあるにせよ)やはり心理的なものが大きかったでしょう。別の刑事裁判における被告人の証言です。

団体を去ったかつての仲間に対して何の言葉も無し。さらに神真都Qは、倉岡が公判で正式に退会の意志を表明した翌日、退会届を受理しないまま除名という処分をとりました。彼らが犯罪を犯すほどにまでのめり込んだ組織とは、結局こんなものだったのです。

こうして被告人らは保釈され、急速に日常に回帰していきます。最後に、彼らが家族と交わした言葉を引用し、この項を締めくくります。

倉岡被告人・証人尋問

検察官:起訴された事件は3件あります。東京ドームの事件、新宿元気館の事件、渋谷のクリニックの事件です。これらの被害者の方に対してどう思われますか?
証人:入ってくる方よりもですね、入ってこられる方ですね。精神的ショックが残ると思います。
検察官:そのようなことについて、倉岡被告人と話されました?
証人:勾留中に辛かったことも多かろうと思いまして、触れないように接しておりました。ですが、やっていいこと、いかんことを、小学生に教えるように言い聞かせました。まず相手の気持ちになってみろと。

(備考:裁判を傍聴していた朝日新聞藤原学思は同じ発言を以下のように記録しています)

「良いこと、悪いこと、やっていいこと、やっちゃいけないことを、小学生に教えるように、いまも言っています」

反ワクチン「神真都Q会」にいた5人の公判 陰謀論の怖さ浮き彫りに」より抜粋

倉岡被告人・証人尋問

検察官:保釈後にお父様と話して、記憶していること、印象に残っていることはなにかありますか?
被告人:今回のことについて、たくさん会話をしました。心配をかけたくないということと、どう思っているのか、ということについて話しました。父からは「思想は自由だし、それを主張するのは構わない。だけどそれで他人に迷惑をかけて、他人に思いを強制してはいけない。自分のことばかりで相手の立場になっていない」と言われました。本当にそうだと思います。反省しています。

平野被告人・証人尋問

検察官:相手の気持ちになるということについて、どんな風に伝えましたか?
証人:東京ドームにも迷惑をかけたし、それでPTSDになってしまった方もいらしたと思いますけど、それよりも渋谷の小さなクリニックのことを話しました。どれだけ怖かったか、恐怖心があったかと。
検察官:平野被告人はどんな状態でしたか?
証人:反省しているように見えました。

三輪被告人・本人尋問

弁護人:保釈後に妹夫婦とはどんな会話をした?
被告人:とにかく「間違っている」ということを言われました。妹からは「同じことはもうないんだよね?」 と聞かれました。

中川被告人・本人尋問

検察官:保釈後には事件について具体的にどういった話をしましたか?
被告人:「ワクチンの話はしないでくれ」と言われたのと、「他のとこではこういうことをしないでね」とか 「人に迷惑をかけるのはいけないんじゃないか」という話をされました。ただ謝るしか無いです。

高野被告人・本人尋問

弁護人:お父さんは厳しい人だったと言っていたけど、具体的にはどんなことを言われた?
被告人:考えが偏っているとか、視野が狭いということを言われて、毎日顔を合わせるたびに怒られました。私もだんだんわかってきて、今では視野が狭かったことや、人に迷惑をかけたことを理解しています。

高野被告人・証人尋問

弁護人:保釈後に話はした?
証人:5ヶ月間と、長く勾留されていましたから、その5ヶ月間の話をしました。色々と諭しました。ネットにある情報というのは、正しいものもあるけれど、フェイクニュースもあって、どちらが正しいかわからなくなることもある。そういうのを自分で判断するようになってほしいと伝えました。そして当然、人に迷惑をかけてはいけないということも言いました。以前は親の言うことなど知っちゃいないという感じでしたが、今は素直に聞いているように見えます。

高野被告人・証人尋問

弁護人:もし次にこういうことがあったとき、今回のように法廷に立つことはある?
証人:「次」はありません。今回が最後だと申し伝えてあります。

おわりに

検察は倉岡被告人に懲役1年6月、中川被告人には懲役10月、三輪被告人に懲役1年、高野被告人に懲役10月、平野被告人に懲役1月を求刑しました。個人的には、検察側とのやり取りも穏やかであり、おそらくは実刑にはならないのではないかと思います。

では、事件はこれで解決したと言えるのでしょうか。筆者はかなり懐疑的な視点を持っています。

前回記事で引用した宗教学者の塚田穂高のツイートで、神真都Qは「オーディエンス・カルト」であるという見方が示されていました。スタークとベインブリッジによるカルトの段階分類の一つで、メディアを通して支持を形成する緩やかなカルトのことをいいます。

神真都Qは倉岡の配信から始まり、リアルイベント、そして団体化という軌跡を辿っています。しかし、筆者は今でも神真都Qはオーディエンス・カルトの態様を保ったままだと思っています。実際にデモを観察して感じるのは、個々人の教義の理解度に差があるということでした。特に爬虫類型宇宙人周辺の言説は「難しくてわからない」と無視している参加者が多かったように記憶しています。

彼らを集団たらしめているのは、組織への帰依心よりも陰謀論」という共通言語に基づくコミュニケーションではないかと思います。彼らはデモの後必ず打ち上げを行っている他、倉岡らの逮捕後にデモを中止する通達の出た中でも「交流会」なるものを企画したブロックもありました。

(ソース)

つまり、組織としての神真都Qが壊滅したとて、その根底にある陰謀論が解消されない限り彼らが集う理由も存在し続けるし、そこから新たにカルトが形成されることも否定できないと筆者は考えています。

また、本件で裁かれた被告人たちも基本的には神真都Qという「組織」に対する支持を失っただけで、やはり陰謀論的思考は持ち続けている人が多かったのは、証言を聞いていてもわかりました。

倉岡被告人・証人尋問

弁護人:被告人が保釈されて、改めて語ったこともあるかと思うけど、どういう反応だった?
証人:朝まで語りましたが、思想を変えるのは難しいですね。

(備考:藤原学思は同じ発言を以下のように記録しています)

「なかなか思想みたいなものを変えるのは、難しいところがあります」

反ワクチン「神真都Q会」にいた5人の公判 陰謀論の怖さ浮き彫りに」より抜粋

平野被告人・本人尋問

弁護人:これからも自分と相手の考えが違うということは色々あると思うけど、そういう時にはどうする?
被告人:例え自分が正しくて、相手が間違っているとしても、そこで自分の意見を通すのが間違っていると気づきました。実際の所、ワクチンがよくないとはまだ思っていますが、それを押し通してはいけないと思います。それは誰も聞き入れないと思います。

中川被告人・本人尋問

検察官:改めて、事件についてどう考えていますか?
被告人:人に迷惑をかけるというのは、それがどんなに正論であってもやってはいけないことだと思います。もう二度と決してこのようなことはいたしません。

また、父親から「正しい情報とフェイクニュースとを見分けられるようになってほしい」と告げられ、納得している様子だったという高野被告人も、最近Twitterで「新地球早く来ないかな」と呟いているところを見かけてしまいました。「新地球」とは神真都Qで唱えられていた「覚醒者が増えることによって訪れる新しい世界」のことです。筆者はあまりのことに脱力しそうになりました。

被告人の家族は「思想は自由だと思う」と証言していましたが、やはり陰謀論には踏み込んだ対応が必要なのではないかと思います。最近、ドイツでは陰謀論から集った人々が国家転覆計画を立てていたことが判明し大きなニュースになっているように、それは容易に新たなカルトへと結びつきうるからです。

以上、公判レポートでした。判決は12月22日午前10時とのことです。

(おわり)