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【ドキュメンタリー】【映画】『バビ・ヤール』感想 歴史はサイレントフィルムにあらず

公開中のドキュメンタリー映画『バビ・ヤール』を鑑賞しました。

作品紹介

ウクライナ発のドキュメンタリー映画です。「バビ・ヤール」とはキーウ郊外の峡谷の名前で、第二次世界大戦当時、ナチス・ドイツ占領下で数万人のユダヤ人が虐殺された現場としても知られています。

本作は、このバビ・ヤールでの虐殺事件を描いたもの。インタビューやナレーションを一切用いず、当時の記録映像のみを繋ぎ合わせて作る、いわゆる「アーカイバ」というジャンルです。

監督はウクライナ出身のセルゲイ・ロズニツァという人物で、欧州では新進のドキュメンタリストとして以前から注目されており、日本でも一昨年3作品が輸入されたのを皮切りに少しずつ話題となっていました。

そこに今年のロシアによるウクライナ侵攻が重なり、緊急輸入された監督初の劇映画『ドンバス』がニュースで取り上げられ、海の向こうでは氏の侵攻に対する言動が話題になるなど、一気に大注目の監督となっています。

以下に内容と感想を書いていきます。

内容

怖すぎる臨場感

冒頭、どこかの橋が爆破されます。ナチスソ連侵攻の端緒であるバルバロッサ作戦前後の貴重な映像なのですが、観ていて「えっ、これいつの映像?1941年?2022年?」と一瞬混乱しました。

というのも、フィルムの修復が完璧すぎるんですね。傷一つまで綺麗に直っていて、陰影もシャープに出ています。更に、同じ場面を撮影した別アングルの映像を複数引用しているのも、なんとなく最近のニュースを見ているように錯覚させます。

そして何よりも、全ての映像に効果音が付けられており、これが非常に強いインパクトを与えています。効果音は監督の他の作品でも多用されていますが、本作の使用映像は時代背景や撮影環境から考えると殆どがサイレントフィルムであろうと考えられるため、特に重要な役割を果たしていると言えます。

特に印象に残るのは爆発の効果音です。一昔前の戦争映画のような「ドカーン!」という迫力ある重低音ではなく、「ゴゴーン」といったようなどこか乾いた感じのある響きになっています。まあ実際の爆発というのはこれに近いのだと思いますが、なんとなく突き放した印象を受けるんですよね。

  • これと似た効果音は『ドンバス』でも多用されています。

また、使用しているカットも、当時のニュース映画に出てくるようなダイナミックな画面や素早いカット割りなどをせず、フッテージをギリギリまで使った長回し、かつ単純なアングルのものを使用しています。

このように、戦争に関する作品ながらあえて「静けさ」を強調した画面を作り上げることにより、かえってそれが私達の日常風景の延長線にあるような感覚を呼び起こさせ、不気味なまでのリアリティを感じさせていると考えられます。

街が大爆発!

その後、ドイツ軍がウクライナの都市を次々と占領していきます。…と一言で言えてしまう映像が1時間ほど続くのですが、結構色々な映像があって面白いです。

ひたすら引用されているのが、ナチスの侵攻とともに急速に変化していく街の様子です。スターリン肖像画が引き剥がされ、ヒトラーの絵に変わっていきます。昨日までソ連の新聞が配られていた街頭販売所はナチスの新聞に置き換わっていきます。

そして、監督が意識的に使用しているのが、ナチスを歓迎するウクライナ市民の映像です。戦車が街へ繰り出すと"HEIL HITLER!"と書かれた横断幕が出迎え、人々は競って鉤十字の旗を受取り、沿道へナチ式敬礼で並んでいます。

これらの映像は間違いなくナチスプロパガンダ向けに撮影したフィルムに基づいています。沿道の人々の真意がどこにあったかは今となってはわからず、監督も特に説明をつけることはしていません。様々な解釈ができるシーンです。

  • 一方、途中に映し出されるパレードは「ウクライナ民族主義者組織」(OUN)という当時の反共民族主義団体のものであり、この辺はガチ感があります。

また、精神的にキツい映像も登場します。レンベルク(現在のリヴィウ)では、ドイツ侵攻前にソ連当局が政治犯を一斉に銃殺する事件が起き、ドイツはその現場を市民に見せます。そしてナチスは、事件の背後にユダヤ人が関与しているという風説を流します。

その結果、ウクライナ市民によるユダヤ人に対するリンチが続発。作中にはその実際の映像が登場します。大量に並べられた死体を見つめる群衆と、棍棒のようなもので滅多打ちにされ逃げ惑うユダヤ。あまりにいたたまれない内容です。

そして、映画はバビ・ヤールの大虐殺へと向かっていきます。虐殺のきっかけはナチスキエフ侵入直後、市街中心部で発生した爆発事件であると説明され、その時の映像が出てくるのですが…

筆者は事前知識ほぼゼロの状態で観に行ったので、ビル一棟を狙ったテロみたいなものだと思っていました。ところが、映像を見るとデパートやオフィスビルが次々大爆発!やがて街全体が煙に包まれ、上空から見るとほぼ壊滅状態。ええーっ!?正直超ビックリしました。

  • パンフレットの解説によると、爆発の原因は撤退直前に秘密警察NKVDが街全体に仕掛けた爆弾によるものだそうです。焦土作戦みたいなもんでしょうか?

  • ちなみに監督のコメントによれば、この映像は本作の制作時に初めて発掘された映像なのだそうです。


ここから後半部分です。


ユダヤ人のいないウクライナ

キーウ大炎上のシーンは効果音もバシバシに使ってとても賑やかでしたが、その直後、打って変わって静かな画面が展開されます。

バビ・ヤール虐殺のシーンは、まず、事件直後に発行された市内ユダヤ人に対する出頭命令の画像から始まります。その後、実際の現場を当時のドイツ軍が写したカラー写真のスライドショーが延々と展開されます。

このスライドショーにはやはり効果音が付けられているのですが、小川のせせらぎや鳥のさえずりといった実にのどかな音があえて当てられています。並の監督であれば吹きすさぶ風とか荒涼とした雰囲気を出すであろう所、やはりこの人は一筋縄でいかないセンスを感じますね。

さらに、画像には粒状感のある加工が施されています。画面は雑然と積み上げられた犠牲者の衣料品で埋め尽くされているため、効果音と相まって動画と錯覚するような編集になっています。ユダヤ人が「物言わぬ」存在になってしまったことを強く意識させる効果があるように感じました。

その後、ウクライナ中部ルブヌィで行われた虐殺を取り上げていますが、ここでは召集地点に集まる不安げなユダヤ人の写真に、先ほどとは逆の「吹きすさぶ風」的な効果音が付けられます。ここで使ってくるのか…

画面が暗転し、ワシリー・グロスマンという作家が事件について記した『ユダヤ人のいないウクライナ』という詩が字幕で映し出されます。非常に長い詩で、全部映し出されるまでに10分くらいかかった気がします。

詩の内容は、殺害されたユダヤ人の職業や世代、身体的特徴などの属性を淡々と並べていき、「これは同じ土地で/ウクライナ人と隣り合って暮らし/喜びも悲しみも分かち合い/共に働いてきた民族の死だ」と結ぶというとても悲しいものです。

このように、タイトルにもなっていてある意味本作のメインであるバビ・ヤールの虐殺についてのシーンは非常に静かに展開され、最小限の情報だけで構成されます。それだけにひたすらに悲しさが際立つものとなっています。

衝撃の結末

おそらくこのブログを読んでいただいている方々には説明不要と思いますが、1943年からソ連反転攻勢に成功し、ナチスソ連領土から撤退します。後半は、この撤退の映像が延々と続きます。

中には「おっ、このフィルムは『映像の世紀』で見たことあるぞ」というシーンも出てきてちょっと盛り上がってみたりもしましたが、いかんせん長い…。正直な話、この辺からだんだんと鑑賞するのがダルくなっていきます

ナチス撤退後の街では速攻でヒトラー肖像画が剥がされ、スターリンに置き換えられていきます。さっきの逆回しのような映像です。撤退を祝う赤軍将校のスピーチが登場しますが、これが絶妙につまらない。そして拷問のようにフル尺で流れます。修復は完璧。

そして、本作のもう一つのメインと言えるソ連当局による戦犯裁判の映像が登場します。裁判は薄暗いホールの中で行われており、窓から差し込む日差しが証言台を淡く照らしていて、妙に幻想的な雰囲気になっています

事件の目撃者や関与した親衛隊員の証言に始まり、最後に登場するのがジーナ・プロニチェワという人物です。彼女は事件における最重要人物と言っても過言でなく、自身も処刑対象だったものの射撃直前に壕に飛び降りて奇跡的に助かったという人で、非常に重みのある言葉を残しています。

…のですが、すみません、白状すると筆者はこのシーンで寝ました。別に証言がつまらなかったわけではなく、先程の延々と続いたドイツ軍撤退の映像で溜まった睡魔がこの辺りで決壊しただけなんですが、後でパンフレットを読んで後悔しました。見とけばよかった…。

  • 後述しますが、実はこのシーン(を含めた映画の大部分の映像)はネットで見ることができます。

そして、映画はクライマックスを迎えます。裁判によって明らかになった虐殺の事実に基づき、ソ連政府は犯行に関与した15名の人物に死刑判決を下します。そして、キエフ市内で公開処刑するのです。

作中では、この公開処刑を捉えた映像がそのまま流れます。この映像は非常にインパクトがありました(目もバッチリ覚めました)。処刑の段取りはかなり雑で、しかも右端の人がやたらと抵抗しており、絞首されたあとも体がビクビク動いていてかなりエグい感じです。

  • ちなみに、この映像も本作が初公開なのだそうです。

さて、本作は予告編で「衝撃の結末」と宣伝されていました。鑑賞前にはアーカイバル映画で「衝撃の結末」ってなんじゃいな?と思い、この時点では公開処刑のことかと思っていましたが(でも戦犯の公開処刑は普通ですよね)、本当のラストシーンはこの後にありました。

裁判からおよそ6年後の1952年、なんとキエフ市当局はバビ・ヤールを産業廃棄物で埋め立てる決定を下してしまうのです。衝撃。宅地開発やダム建設に利用されたそうですが、いや、それはあまりに…。

映画のラストは、この時の様子を捉えた貴重なカラー映像が用いられています。無残に泥水に沈んでいくバビ・ヤール。世紀の虐殺の現場が消え去ったことを伝えて映画は締めくくられました。

感想

効果音の持つ意味

本作を最も特徴づけているのはなんといっても多用される効果音の存在です。古い記録映像に効果音を当てることは特に珍しいことではありませんが、本作での効果音の付け方はそういった一般的な例とは一線を画しています

まず、映像に写っていないものの音を当てている点です。冒頭の橋の爆発のシーンでは、家畜の鳴き声らしきものが聞こえますが、映像の中には特に見えません。また、中盤でドイツ軍による村狩りの映像がありますが、燃え盛る家の中から悲鳴が聞こえてきます。不自然ではないものの、どちらも想像の面が強いです。

さらに、人が話しているところを写したフィルムでは、録音されていない部分のセリフを推測し、エキストラにアテレコさせるという、もはや「効果音」の域を超えたことすら行っています。いずれも、音の当て方はほとんど違和感がなく、元のフィルムがどういうものだったかわからないほど強く印象付けられます。

この手法は物議を醸すところではないでしょうか。特にアーカイバルを好む層というのは映像にそのような「脚色」を施すことに難色を示すイメージがあります(そうでもないですか?)。というか、自分は最初ちょっと抵抗がありました。

しかし、改めて考えてみると、監督の意図は単なる「アーカイバル」を超えたところにあるのではないか?と思えます。監督が行いたいのは、記録を保存することから更に先を行く、記録から「歴史」そのものを復元することなのではないでしょうか。

バビ・ヤールの虐殺は、2日間で3万人以上のユダヤ人が殺害されるという、一回に行われた虐殺としては最大規模のものでしたが、長い間忘れられた存在だったようです。そこにはソ連の政策や、その後の歴史の混迷が関係していたことは言うまでもありません。

本作は元々「バビヤール ホロコースト・メモリアルセンター」という博物館の創設プロジェクト(監督もメンバーに加わっている)の一環として制作されたものです。この博物館は、歴史から消されたバビ・ヤールの出来事を現代に復元し、後世に伝えることを目的としています。

本作の制作中に発掘されたフィルムも当然博物館に収められているわけですが、監督はそれでは飽き足らず、当時の「空気感」そのものまで現代に伝える術を探究したのではないかと思います。その結果、フィルムを上書きするかのような積極的な効果音の付与という手法にたどり着いたのではないでしょうか。

特に、「効果音」と言っていいのかわからない、エキストラを使用したセリフのはっきり聞き取れる声は、確かにフィルム上では無音であったとしても、そこに人が映っている以上何かしらの言葉はあったはずだと考えれば、それを復元するという意味で、歴史を伝える上で重要なことと言えるだろうと思います。

本作は、公開まもなくウクライナ国内で物議を醸しました。それは、当時の市民がナチスを歓迎する様子を多数挿入した点で、まだロシアとの全面戦争には突入していなかったものの、「ネオナチが政権を掌握している」というプロパガンダを流布されていた時期にあって、本作は一種の「利敵行為」になるのではないかと指摘されたのです。

監督はこのような批判に対し「語ろうとしなければ問題はどんどん深刻化し消えることはない」と答えています。本作の原題は"Context"(文脈)。歴史は出来事の集まりではなく、一つの流れなのだということを意識させます。本作で取られている手法は、そのような思想の実現のためなのではないでしょうか。

なぜ「クレニヴカの悲劇」を省いたのか?

鑑賞後にバビ・ヤールについてネットで調べていたところ、映画には描かれなかった衝撃の後日談を知りました。

作中最後の場面からさらに9年後の1961年3月13日、バビ・ヤール跡地に作られたダムが決壊し、下流の街を水没させ多数の犠牲者を出す大災害が起きていたのです。この災害はウクライナでは有名な出来事で、被害の大きかった街の名前を取って「クレニヴカの悲劇」(Куренёвская трагедия)と呼ばれています。

  • 犠牲者の数はソ連の公式統計では145人とされていますが、実際にはその10倍以上だという意見もあるそうです。

しかしこの事実は映画では示されていません。(少なくとも本国では)有名な出来事なのであえて取り上げるまでもなかったのか?と思いましたが、調べてみると、監督はこの事件についてのフィルムも入手し、編集もしていることがわかりました。

先述したとおり、本作は博物館のアーカイブ事業に関連して制作された映画なのですが、実は「バビヤール ホロコースト・メモリアルセンター」の公式YouTubeチャンネルには、本作の一部のシーンがそのままアップロードされています。超太っ腹です。

  • 先述したプロニチェワ氏の証言映像も発見できました。日本語訳はパンフレットに載っていたので、なんとか見逃さずに済みました。

その中には「クレニヴカの悲劇」当時の救助活動などを撮影した映像も含まれていました。フィルムはしっかりと修復され、効果音も付与されており、かなりしっかり編集されていますが、映画には一切使用されていません。一体なぜ監督はこのような選択をしたのでしょうか?

機械翻訳に頼りながらウクライナでの公開当時の記事を色々と検索してみたのですが、はっきりとした理由はわかりませんでした。ただ、意図的であるかどうかにせよ、このことは映画に一つの効果を与えているように思います。

本作が最も伝えんとしていたことは、「歴史は放置していれば忘れ去られる」ということです。実際のラストシーンである、泥水に埋没していくバビ・ヤールの景色はまさにその象徴と言えます。しかし、「クレニヴカの悲劇」はそれ単体が出来事としてしっかり記憶にも記録にも残されています。

もし「クレニヴカの悲劇」をラストシーンに持ってきたとすれば、それはもはや「クレニヴカの悲劇」についての映画になってしまったかもしれません。「バビ・ヤールの虐殺」の結末はやはり、泥水に埋め尽くされた景色、ということなのだろうと思います。

ストイックすぎる作風

監督のセルゲイ・ロズニツァは大学時代は数学専攻で、その後初期の人工知能の研究に携わっていたというドキュメンタリストとしては異色の経歴を持っています。だからというわけではないと思いますが、監督の作る映画は非常に淡々とした構成です。悪く言うとメリハリがない

冒頭で紹介したようにセルゲイ・ロズニツァ作品は本作含めこれまで5本輸入されており、そのうちアーカイバルは本作含めて3本。そのいずれも、とにかくフッテージをギリギリまで使った長いワンカットをひたすら並べた構成になっています。

セリフのある映像だとこのワンカットがなかなか面白い部分もあるんですが、今回のように「風景」の連続になる映画だと正直かなり眠くなるんですね。スターリンの葬儀を扱った『国葬』も、後半ひたすら葬列を写したシーンで脱落し、内容の2割位が記憶から飛んでしまいました

ただ、この演出には監督のある種の信念が感じられるため無下には扱えません。うまく言語化できませんが、その「長さ」も含めた四次元的な情報を受け取ってほしいのかな?と思っています。だから、ロズニツァ作品はとりあえずよく眠った上で鑑賞してほしいですね(説得力ゼロ)。

おわりに

筆者はドキュメンタリーの中でもアーカイバルが特に好きなのですが、世の中的にはあまり人気がないのか、手掛ける監督は多くありません。その中で現在最先端と言えるのがセルゲイ・ロズニツァ監督です。

そして監督は単なる「映像の継ぎ接ぎ」を超え、映像を土台とした「出来事」の再構築という新たな手法を編み出し、その手法を進化させています。その一方で、基本である「映像の発掘」の作業も非常に念入りで、もう非の打ち所がない感じです。

『バビ・ヤール』は正にその最先端といった雰囲気を漂わせる作品であり、「埋もれていた歴史を復活させる」という重大な責任を伴う仕事でもありました。筆者としては監督はその責任を十分に果たしていたように思います。

ちなみに、年内にロズニツァ作品がもう一本公開予定だそうです。80年代のリトアニア独立運動を描いた『ミスター・ランズベルギス』というドキュメンタリーで、上映時間は4時間8分とのこと。…頑張ります。

皆さんも機会があればぜひ鑑賞してみてください。