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【ドキュメンタリー】【映画】【TBSドキュメンタリー映画祭】『日の丸 〜それは今なのかもしれない〜』感想 「ドキュメンタリー」ってこれだ!

ヒューマントラストシネマ渋谷にて3月21日から一週間行われた「TBSドキュメンタリー映画」から、筆者の鑑賞した3作品の感想を書いていきたいと思います。

今回は最初に観た『日の丸 〜それは今なのかもしれない〜』です。

TBSドキュメンタリー映画祭とは?

2020年、TBSが制作・公開した『三島由紀夫vs東大全共闘 〜50年目の真実〜』というドキュメンタリー映画がありました。

1969年に東大本郷キャンパスで行われた三島由紀夫全共闘学生らの討論を撮影した実際のフィルムをメインに、追加取材を交えて当時を振り返る内容でしたが、話題を呼び興行収入2億円という本邦のドキュメンタリーとしては超の付く大ヒットを記録します。

勢いづいたTBSは「TBS DOCS」というドキュメンタリー専門の部署を設立、新たな作品の制作に力を入れていきます。その発表の場として去年から開催されているのが「TBSドキュメンタリー映画祭」なのです。

日本は海外に比べドキュメンタリー映画の土壌が整っていないので、ドキュメンタリー好きの筆者としてはこれを期に層が厚くなってくれればいいなあと思っています。

作品紹介

本作は、今から55年前の1967年にTBSで放送された『日の丸』というドキュメンタリー番組を取り上げた映画です。

『日の丸』は寺山修司が構成を務め、萩元晴彦という当時の気鋭のプロデューサーが制作したもので、番組の全編が不特定多数の人々への街頭インタビューのみで構成されているという非常に特殊な内容でした。

質問の内容は「日の丸の赤は何の赤だと思いますか?」「日の丸が日本の国旗であることに誇りを持てますか?」「祖国と家庭どちらを愛していますか?」などといった、人々に対し自らの愛国心を直接問うような過激なものでした。

この映画は、そんな『日の丸』と全く同じインタビューを55年後の現在の日本で行ったらどうなるのか?というコンセプトを出発点に、「日本人」というアイデンティティや、当時の寺山・萩元両名が番組に込めた思いについて探っていく内容となっています。

ちなみに、監督の佐井大紀氏は元々ドラマ制作部出身で、本作が初ドキュメンタリーなんだそうです。少しずつドキュメンタリー参入への敷居が低くなっているのかもしれませんね。

内容

多彩な回答者達

意外にも、インタビューに対して多くの人が率直に答えている感じを受けます。「日の丸と聞いて何を思い浮かべますか?」という質問にも「太陽」「弁当」「タクシー」など多種多様な答えが集まっていました。

また、「日の丸の赤は何の赤か」と聞かれ元気よく「イチゴ!」と答える女性(振り袖姿なので新成人?)や、撮影後に「一応言っておくけど、自分の国は自分で守る、これは当たり前の話だから」と説教を始める人など個性溢れる人々の様子も見られます。

  • ちなみに、監督に説教をした男性はなぜか顔出しNGでした。しかし取材には承諾しているわけで、なんだか複雑な事情を伺わせます。

もちろんこれは監督が膨大な撮影素材から面白かった映像をチョイスしているのであって、多分スルーされたりする場面はこの何十倍もあったでしょうし、取材を受けた中にも「てか貴方は誰ですか?僕の質問は無視ですか?」と怪訝な反応をする人がいました。

  • Wotopiに掲載された監督インタビューによると、質問したのは「何百人という単位」で、あまりに無視されるので心が折れかけたとか。

しかし、先述したように真逆の回答を並べて映し出したり、学生風からお年寄りまで幅広い属性を取り上げるなど、監督のチョイスにはバランスへの配慮が見られます。あっさりとした映像の中に制作の苦労が伺えて好印象です。

思わぬ出会い

監督は1967年版との差別化のためにTwitterアカウントを開設し、相互フォロワーに対してDMで同じ質問を送りつけるという試みを行います。さらに、日の丸を撮影した写真を募集し、TBSのアカウントで宣伝も行いました。

ところが「炎上するに決まっている」という監督の不安に反して日の丸の写真は3枚しか集まらず、DMでは謎の人物から「顔の見えないDMで質問することで1967年版の再現になるのか」「あの世で萩元さんが泣いています」と怒られる始末。

  • この辺は監督のションボリしてる感じが伝わって面白かったです。

しかし、金子怜史という数年に渡って日本中をめぐり日の丸を掲揚している建物の写真を撮り続けている写真家の方がアカウントに連絡してくる思わぬ展開が。世の中には面白いことをしている人がいるんだなあと思いました。

「あなたに外国人の友達はいますか?」という質問に対し「回答者が日本人である前提に立っていませんか?」というDMを受け取ったことから、話題は「日本人とは?」というテーマに。アイヌ出身の女性へのインタビューが挿入されます。

この部分は小綺麗にまとめず取材の中で偶然得られた経験をそのまま映し出しているライブ感のある雰囲気に構成されています。後述しますが、この「ライブ感」は本作における大きな魅力の一つになっていると思いました。

ウルトラセブン登場

「日本人とは。私は彼女の言葉を聴きながら、幼い頃に見たある番組を思い出していた…」というナレーションとともに、ウルトラセブン第42話『ノンマルトの使者』のあらすじが紹介されます。

  • 筆者の鑑賞した劇場では、この場面で一角から「おおっ!」という声が挙がっていました。

著作権の諸々で本物の映像は当然使えないわけですが、代わりにシナリオ本の一節(真市とアンヌの会話の下り)を字幕で写し、バックに海岸の映像を重ねるなど雰囲気を出す工夫をしていました。

監督は「脚本を書いた金城哲夫は、この作品に自身の沖縄と本土に対する思いを込めたとも言われている――」と語ります。『ノンマルトの使者』については知らない方はググって調べて頂いたほうが早いと思いますが、言ってしまえばありがちな解釈ですよね。

実際の所、金城は自分の作品の意図を直接語ることはなかったようで、親交の深かった上原正三などはそのような解釈に否定的な発言をしていますし、金城は沖縄へ帰郷したあと自衛隊擁護発言や海洋博への参加などで度々物議を醸していたりと、単純にはとれない独特の思考回路があったと考えられています。

無論筆者が語るまでもなく監督はそのへんは理解しており、『ノンマルトの使者』のラストのナレーション(「それにしても、ノンマルトが本当に地球の先住民だったか〜」)を捩ってこのシーンを終えていますが、ちょっと取り上げ方があっさりしすぎていたような印象を受けました。

  • どうでもいいことですが、1994年生まれの監督はいつ、何を通じてウルトラセブンに触れたのでしょうか。再放送?ビデオ?

ここから後半部分です。


「情念の反動化への挑戦」

後半は、1967年版『日の丸』の制作意図について、寺山・萩元両名と交流のあった映像作家の安藤紘平のインタビューを中心に振り返っています。

萩元と寺山は『日の丸』よりも前の1960年に『あなたは……』というドキュメンタリーを制作していました。寺山と懇意の役者をインタビュアーとし、待ち行く人々に無差別に質問を投げかけるという、後の『日の丸』と同じ形式の作品です。

質問の内容は「いま欲しいものはなんですか?」「総理大臣になったら何をしますか?」「東京は住みよい街だと思いますか?」という日常的なものでした。通勤ラッシュのホームに突撃してマイクを向けており、サラリーマンがすっげえ迷惑そうにしてて笑いました。

また、小学生の男の子が「(欲しい物は)新しいユニフォーム」と子供らしい答えをした直後に「(総理大臣になったら)悪い代議士を全員追放します」と突然ポピュリズムに目覚め出していて面白かったです。

  • この方、現在ご存命であれば70代前半くらいだと思いますが、お元気なんでしょうか。

役者を使ったのは「アナウンサーでは対象に寄り添いすぎてしまう」という理由だそうで、無名の人々に一方的に質問を投げかけ、そのときに見せる表情の変化を捉えたかったそうです。じゃあサラリーマンの迷惑そうな顔は正解だったんですね。

しかし、当時の寺山は最後に問うた「あなたにとって幸福とはなんですか?」に対する多くの人々の回答の平凡さに不満があったようで、もっと人々が普段考えないような本質に迫る質問、ということから「愛国心」というテーマを扱うことを発案したそうです。

安藤は「寺山さんは『情念の反動化に対する闘争』だとか、『情念の反動化への挑戦』だとか言ってたね」と発言しています。正直迷惑系Youtuberスレスレなコンセプトだな、とも思いますが、結果的に伝説のドキュメンタリーになったわけです。

寺山の捉えた「国家」

『日の丸』は当時大反響となった一方、TBSには「偏向番組」という夥しい数の苦情が寄せられ、電波管理を行う郵政省が調査を開始する事態にまで発展したそうです。今じゃ絶対無理ですね…すごい時代です。

一方、安藤は寺山にとってこの番組は手応えがあったのではないか、と推測しています。その根拠として挙げているのが、放送から3年後の1970年に企画された『人力飛行機ソロモン』という演劇です。

この演劇は、街中の一角に劇団員を配置し勝手に演劇を始めてしまうという過激なものでした。同時にいくつもの劇が上演され、全く関係ない通行人に突然会話を仕掛けるというものもありました。確かに『あなたは……』や『日の丸』のコンセプトに似ていますね。

  • 寺山本人が『人力飛行機ソロモン』について語るビデオ映像が挿入されており、映像の保存状態が悪いのがなんか逆に貴重な感じがしました。

更に安藤は『人力飛行機ソロモン』の中で上演された『一メートル四方一時間国家』について言及します。これは、最初に1m四方の空間の中で男女が「国家建設」を始め、徐々に拡大して最後は街全体を巻き込み、他人の自動車を破壊したり、敷石を引き剥がしたりするというとんでもないものでした。

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」という著名な短歌に見られるように、寺山には元々「国家」という存在に対する疑念が存在していました。その疑念が『日の丸』によって確信に変わった、その帰結が『人力飛行機ソロモン』なのだといいます。

『日の丸』のインタビューに答えている人々は、全く同じ質問であってもそれぞれにバラバラの答えを持っていました。「国家」というものがそれほど重大な概念なのであれば、はっきりと明快な答えが存在するはず。結局国というのは主観的な概念でしかないのだろう、ということだと思います。

一方で筆者は、同じ質問を北朝鮮中国で行ったとしたらもっとはっきりとした答えが返ってきたのではないかな、と思います。陳腐な意見であるかとは思いますが、国という概念が曖昧になっていくのは自由主義の裏返しとしての面もあるのではないかと思いました。

ラストシーンでは、監督は鑑賞者に向かって同じ質問を投げかけます。答えは鑑賞者自身が持ち帰って欲しい、それが監督が辿り着いた結論でした。「最後に、あなたが日の丸について思うことを一言で言ってください」。

感想

斬新な演出

監督がドラマ出身ということもあるのか、本作はとにかく日本のドキュメンタリーとしては斬新な演出が多々取り入れられています。

例えば前半で1967年のフィルムと現代の映像を交互に素早く切り替えるカット割りをしていますが、まるで過去と現在に高速でタイムトリップしているようなインパクトがあり、とても迫力を感じました。

また、Twitter上での取材についての話題に移行し、金子怜史のインタビューが始まると、金子に対して「日の丸と言ったらまず何を思い浮かべますか?」と再び『日の丸』に戻ってくる、そのときに金子の撮影した写真をスライドで映しながら撮影するという凝った演出もいい感じでした。

  • ちなみに金子は「戦争とか、あまりいいイメージはない」と答えつつ「日の丸が国旗であることには誇りを持っている」としていました。

また、本作の随所に1967年版へのリスペクトを感じました。例えば1967年版には佐藤栄作の街頭演説を聞いている女性にインタビューする場面がありますが、本作ではこれを再現するためにわざわざ岸田総理の演説の場に赴いていました。

「アナウンサーがインタビューをしてはいけない」というコンセプトを守るために、本作では監督自身がインタビューを行っています。ドキュメンタリーで監督がインタビューに立つこと自体は普通のことではありますが、カメラの前に写り込んでいるのはなかなか勇気のいる演出だと思います。

  • 前出記事における監督の発言から考えると、監督自身がインタビューを行ったのは、1967年版の放送当時にインタビュアーが批判の矢面に立たされてしまったという過去を踏まえたものと思われます。

また、監督インタビューによれば「俯瞰から徐々に寄っていくカメラワーク」を狙ってみたり(Wotopiより)、神代辰巳のオマージュを仕込んでみたり(日刊大衆より)と、色々なこだわりを持って制作されていたようです。

日本のドキュメンタリーの多くは「わかりやすさ」や「簡潔さ」を意識した編集になっている印象があります。これはおそらく制作側に報道出身者が多いためなのでしょう。

一方、本作の佐井監督はより映像的な鑑賞性を優先した演出を行っていることがわかります。もちろん双方の手法に双方の良さがあるわけですが、筆者には一つの新しい潮流として受け止められました。

むき出しのドキュメンタリー

本作の大きな特徴は、普段カメラの背後に立っている制作者自身の姿をあえて前面に押し出していることです。

視覚面で監督がカメラの前に立つシーンが多いのもそうですが、撮影素材の中からうまくカットを選び出してあとからストーリーを紡いでいくという報道番組的な手法ではなく、制作中に起きた出来事をある程度そのまま映し出しているという面が特徴的です。

冒頭から監督自身の経歴と『日の丸』を企画する経緯の語りが入り、Twitterでの取材について紹介して以降は、アイヌ女性との出会いから論点を移していく過程など、次第に制作側への没入感が増していくような構成になっていました。

  • 細かい部分で言えば、インタビュー後に使用許諾を得る様子をあえて使っている点も挙げられます。それまで漂っていた緊張感が急速に解けていく面白いシーンでした。

本作は事前の宣伝では「2つの時代のインタビューの対比を中心に、『日本』の姿を浮かび上がらせていく」という内容とされていましたが、実際には全く違う趣向のドキュメンタリーだったと思います。

Quick Japanに監督が寄稿したコラムによれば、監督は実際にそのような意図を込めて映像を構成したといいます。「日本」という曖昧なテーマを曖昧なまま撮影し、ただの情報の羅列になってしまうことを防ぐためだということです。

また監督は日刊大衆のインタビュー森達也の影響を挙げていました。森達也は『A』や『FAKE』などの作品で知られる著名なドキュメンタリー監督で、「ドキュメンタリーに客観性は存在しない」という持論を持っています。

森達也の代表作である、オウム真理教の信者の生活を取り上げた『A』の中では、撮影中に信者がいわゆる「転び公妨」で逮捕されてしまい、教団から現場を撮影したビデオの提出を迫られ監督らが逡巡する様子が登場します。

佐井監督はWotopiのインタビューの中で「作り手と取材を受けてくれた人との心のぶつかり合い」を重視したと語っていますが、それはおそらく『A』などにおける森のスタンスを踏襲したものなのでしょう。

そういう意味で、本作に漂う「ライブ感」は「純粋ドキュメンタリー」というか、「むき出し」のドキュメンタリーと表現することができると思います。筆者はそのようなドキュメンタリーは大好物なので、この姿勢には非常に好感が持てました。

  • 一方、ネット上の感想では「思っていた内容と違う」という批判も見かけました。これは宣伝の問題が大きいと思われます。

本当に「当事者」になれているのか

一方、監督はQuick Japanにて「制作者の加害性」という言葉を使い、自らを矢面に立たせるように演出したと語っています。この点について、筆者にはやや不足を感じる部分がありました。

監督としての「当事者性」の演出は、先述したようにカメラの前に立ったりであるとか、Twitterアカウントを開設したりだとかという点でクリアされているという認識なのだと思います。

作中では、Twitterでの反応が皆無であったことをして、「自身の意見表明はなされないのに、誰かが意見表明をすると賛否を示す」という現象を見出し、「日の丸」という存在を「叩けば音の出る空洞」と表現しました。

しかし、実際にはわずかながらでもインタビューで意見を表明した人々は存在しているわけだし、監督に説教をした人だっていたわけで、「空洞」という表現には、それらマイノリティな人々の存在を無視してしまっているような印象を受けます。

また、1967年当時に構成を担当した寺山修司は、(安藤の推測が正しいのであれば)『日の丸』制作後に自身の国家観をアップデートし、「一メートル四方一時間国家」などの実践へ結びついていったわけです。

一方、佐井監督は本作のパンフレットや各種インタビューでも鑑賞者に向けて同じように質問を繰り返すという立場をとりました。別に寺山ぐらい大きなことをしろと言うつもりはありませんが、それでは自身も「空洞」の一部分になっていないか?と感じてしまいます。

例えば素人考えですが、最後に自分の映像を流しながら自分で自分の質問に答える、というようなシーンを挟めば完成度が高まったのではないかな、などと思いました。

おわりに

本作は従来の日本のドキュメンタリーにあまり見られない斬新な編集と撮影によって高度な映像に仕上がっている作品でした。監督はドキュメンタリー初挑戦ながら大変な取材をこなしており、その成果が現れていると思います。

また、手探りで制作しているがゆえに醸し出される「ライブ感」がドキュメンタリーの魅力を高めています。一方で、やや荒削り感が拭えない点も見られ、せっかくのテーマがうまく扱えていない印象も感じました。

しかし、新しい監督としては非常に期待が持てる発進だったと思います。今回の経験を活かして、これからも斬新なドキュメンタリーを作り続けてほしいですね。