【ドキュメンタリー】【映画】【TBSドキュメンタリー映画祭】『戦争の狂気 中東特派員が見た中東和平の現実』感想 日常の中の戦争
ヒューマントラストシネマ渋谷にて3月18日から一週間行われた「TBSドキュメンタリー映画祭」から、筆者の鑑賞した3作品の感想を書いていきたいと思います。
今回は最後に観た『戦争の狂気 中東特派員が見た中東和平の現実』です。
TBSドキュメンタリー映画祭とは?
2020年、TBSが制作・公開した『三島由紀夫vs東大全共闘 〜50年目の真実〜』というドキュメンタリー映画がありました。
1969年に東大本郷キャンパスで行われた三島由紀夫と全共闘学生らの討論を撮影した実際のフィルムをメインに、追加取材を交えて当時を振り返る内容でしたが、話題を呼び興行収入2億円という本邦のドキュメンタリーとしては超の付く大ヒットを記録します。
勢いづいたTBSは「TBS DOCS」というドキュメンタリー専門の部署を設立、新たな作品の制作に力を入れていきます。その発表の場として去年から開催されているのが「TBSドキュメンタリー映画祭」なのです。
日本は海外に比べドキュメンタリー映画の土壌が整っていないので、ドキュメンタリー好きの筆者としてはこれを期に層が厚くなってくれればいいなあと思っています。
作品紹介
- タイトル:『戦争の狂気 中東特派員が見た中東和平の現実』
- 監督:須賀川拓
- 制作:日本、2022
- 配給HP:https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/
本作は、2021年5月にイスラエルとパレスチナの間で11日間行われた紛争を、当時その真っ直中で取材していたジャーナリストの視点から追ったドキュメンタリーです。
前半はイスラエル国内でミサイルが飛び交う中の人々の生活の取材、後半は停戦後のパレスチナに入り、イスラエルが犯した戦争犯罪についての調査報道という構成になっています。
現場の取材映像と撮り下ろしのインタビュー、当時のニュース番組などを交互に見せていく構成で、欧米のドキュメンタリーに近い編集となっています。TV局はこういうことができるのがいいですよね。
- ちなみに、取材映像の大部分はYoutubeで公開されています。記事の最後にリンクを貼っておきますので興味のある方はご覧になってみてください。
監督の須賀川氏は中東を中心に活動するジャーナリストで、2022年には国際報道における賞であるボーン・上田記念国際記者賞を受賞しています。
内容
悪夢のような光景
先制攻撃はガザ地区を支配するイスラム系武装組織ハマスによって行われました。テルアビブに向かって大量のロケット弾を発射し、無差別攻撃を企てます。
テルアビブは普通に高層ビルが立ち並んでいるような大都市で、その夜景の中をサイレンが鳴り響き、四方八方に向かって光の玉が飛んでくるという非常に異様な光景が繰り広げられます。
「戦争はみんな異様だろ」ってツッコミはまあ正論なんですが、なんというか、「大都市ほど危険が少ない」みたいな漠然とした印象が崩れ去る感じがあるんですよね。まあ自分の考えの浅さもありますけど…
- でも、当時のニュースとか、現在のウクライナとかの光景を見て同じことを感じた人は沢山いると思います。
リポートを撮っている最中にサイレンが鳴り出して慌てる様子や「光と音が近いね」という平時なら雷に使うような表現をする様子など、とにかく臨場感が凄まじい。
監督はさらにガザから2kmほどしか離れていないスデロットという街に向かいます。到着した途端「シェルターへ避難せよ!」という英語の警報が流れ出し、息を切らしながらシェルターへ向かいます。衝撃波で自動車の防犯アラームが誤作動するカオス状態。
迎撃システムアイアンドームの置かれている場所にも取材していました。「発射するところ撮れるかな」など期待半分な感じで待機している取材陣。全自動システムなので当たり前なんですが、ただ装置が置いてあるだけで想像以上に殺風景です。
そして、遠くでサイレンが鳴り響き、勢い良く迎撃ミサイルが発射!あっというまにロケット弾と衝突して花火の後のような煙の塊に。まさに命がけの取材です。
ガザ地区の惨状
まもなくイスラエルとハマスの間の停戦合意がまとまり、記者のパレスチナ入りが認められたため、監督はガザ地区に向かいます。ガザは瓦礫の山と化していました。
イスラエル軍は報復として「ハマスの戦闘員がいる」ことになっている場所に「精密爆撃」を行っていました。しかしそこは建物の密集地帯。当然巻き添えになった人も大勢いました。
瓦礫の山の中には子供の教科書やおもちゃなどもあり、大人達が怒りと悲しみをカメラの前に爆発させています。しかしその横では子どもたちが瓦礫をアスレチックのようにして遊んでいました。
ガザ地区の取材映像ではずっとどこからか「ブーン」という虫の羽音みたいな音が鳴っているのですが、住民いわく「ドローンだよ」。イスラエルにずっと監視されているわけです。そんなことしていいのか?
ハマスが住民を盾にしているのは事実であるし、ロケット弾によるイスラエル側の死者も出ています。理屈ではわかるんですが、普通の生活の光景の中には全く溶け込めない光景であり、やっぱりモヤモヤしますよね。
ここから後半部分です。
悪びれない当事者たち
ガザ地区への空爆で4人の家族を失ったムハンマド・アルハディディという人物が登場します。家の中には祭日の飾り付けがされたままになっていました。この時の攻撃は合法的だったのか?というのが本作の焦点です。
近くの消防署には、ダンボールの中に投下された爆弾の破片がそのまま保管されていました。そこには爆弾のシリアルナンバーが残っており、人権団体に検証を依頼すると、イスラエル軍で採用している爆弾で、種類も判明します。
監督はイスラエル軍の報道官に直撃しています。報道官は「基本的に爆撃の前には警告をしています、住民には避難する時間が与えられています」と主張。
そこで監督が「住民は警告などなかったと言っている」と問いただすと、「アパートの一室に拠点を置いているようなケースでは警告していません。戦闘員が逃げてしまうので」と正直に告白します。これにはビックリしました。
他方、ロケット弾を撃ちまくるハマスの報道官にもインタビューをしますが「精密爆撃ならいいけど、イスラエルがしているのだって無差別爆撃だ」「イスラエルが制裁を解けば精密なミサイルを作ります」それじゃダメだろ!
この双方から漂う「駄目だこいつら」感からも、戦争をやめる気が一切ないことがわかってしまい、そこはかとない絶望感が漂う内容になっていました。
「消費」される市民
作中では、イスラエルがTwitterに投稿した爆撃の映像が次々挿入されます。「私達は精密爆撃に自信があります」というプロパガンダなわけですが、人間を捉えてミサイルが突っ込んでいくという映像を堂々と投稿できるのが凄いですよね。
さらに、イスラエルは「パレスチナの戦闘員が掘った秘密トンネル」のCG映像を投稿していました。広々として宿舎みたいな設備もあるすんごいもののように言われており、「こんな奴らが我々を狙っているんだぞ」と言わんばかりです。
で、監督は実際のトンネルを取材しました(凄え)。イスラム聖戦機構という武装集団の協力を得て秘密の入口に案内してもらうのですが、現実は人一人がなんとか入れる程度の残念なクオリティで、CGとは全然違います。
トンネルから戻ると戦闘員が集まってきて、イスラエル国旗を踏みつけるパフォーマンス。監督はそれを見ながら「緊張感がないんですよね」と発言。日本語とはいえ、銃持ってる相手の目の前でそれを言える勇気…
もちろんいくら装備がちゃちいからと言って戦闘行為をしていることには変わりありませんが、そんなに大それた兵器を使わないと殲滅できないの?という疑問を監督は持っているようでした。
ムハンマドは一人残された息子を育てることを決意します。祭日の飾りは残したままにするとも宣言していました。一方、ハマスが作った宣伝写真は映さないように要望しました。「これは私達家族の物語なんだ」。
ムハンマドは、自分達が戦争の前に「消費」されることに疲れ切っていました。そして、やがて監督とも音信不通になります。映画の最後は、ムハンマドが監督に最後に送信したメッセージを字幕で表示します。
「マスコミは、戦争の時ばかり取材に来て、終わったら帰ってしまう。もう私に連絡しないで欲しい。」
感想
日常の中の戦争
アニメ映画『この世界の片隅に』がきっかけで、近年日本では「戦争の中の日常」という概念に目が向けられています。それは戦争を身近に学ぶと同時に、戦争という異常状況下でも人生を見失わない強さを知ることにもなっているでしょう。
しかし、このドキュメンタリーで監督が描いているのは、いわば「日常の中の戦争」です。それは、映像の中での監督の発言にも度々現れていますし、監督の撮る映像の中にも現れています。
テルアビブの人々は、ロケット弾が飛んでいるときに一応逃げてはいますが、監督やカメラマンのような緊迫した感じはあまりなく、中には逃げずにバーで飲んでいる人達もいました。迎撃の様子を笑いながら眺めている人も見られます。
人々のそうした反応にはアイアンドームへの信頼というのもあるのだとは思いますが、やはり彼らにとっては「よくあること」なのでしょう。映像を見ただけで「悪夢」という言葉が浮かんだ筆者とは感情的な隔たりを感じました。
- 逃げている男性の一人は「こういうことは今まであった?」と監督に聞かれ「最近はない」と答えていました。
また、イスラム聖戦機構の戦闘員も防弾チョッキなどを持たずペラペラの迷彩服を着ていて、監督は呆れ半分な感じでリポートしています。これらは「たとえ戦時下でも平和に生きるぞ」という感じではなく、むしろ緊張感を失っているだけの印象です。
監督が伝えたいのは、そういう異常な光景こそがパレスチナ問題の末路なのだ、ということに思えました。
ラストのメッセージの意味
監督は映画の最後に、自らが取材対象に拒絶された瞬間を選びました。これにはどんな意味があったのでしょうか。
思い出されるのは、2004年の映画『ホテル・ルワンダ』の有名なシーン、主人公と記者の会話の部分ですよね。
「あの残虐行為をみれば、必ず誰かが助けにくる」
「世界の人々は、あの映像を見て、怖いねというだけで、ディナーを続けるよ」
ガザ地区の瓦礫に溢れる街並で、ドローンのうるさい音に囲まれながら、なおも「日常」を続けなければならないという映像は、とてつもない絶望感に包まれています。一方の監督はガザから脱出し、別の場所で別の取材を行っています。
そういう意味では、ラストのムハンマドの発言は当事者としての正論であるわけです。平然と戦争を肯定する当事者の間で殺されたり生かされたりする現状はメディアが取材したところで変わっていません。
ムハンマドにとっては、現状の改善に寄与しないマスコミは、自分達を殺す映像を誇らしげに発信するイスラエルや、プロパガンダの道具としてしか見ていないハマスと何も変わらないのでしょう。
一方で、監督はイスラエル・ハマス双方に鋭い質問をぶつけ本音を引き出したり、爆破実験を行った上でイスラエルの作戦の不当性を伝えようと懸命に努力していました。それでもやはり、当事者からは拒絶されてしまう現状がある。
先述したとおり、本作で使用されている映像はYoutubeでも公開されています。それでもなお、この時期にあえてドキュメンタリー映画として公開したのには、戦争を、そして自らの取材を「消費」させないという決意だったのではないでしょうか。
最後にムハンマドのメッセージを載せたのは、ジャーナリストという職を選んだ自らへの戒めであると同時に、同業者や我々「消費者」に対しての問題提起でもあったのだと思います。
おわりに
筆者は不謹慎な人間なので予告編の映像を見て割と興味本位で鑑賞を決めてしまった部分があるのですが、最後のシーンは非常に痛いところに突き刺さる部分がありました。
だからこそせめて「怖いねというだけ」の人間にはならないように気をつけたいと感じます。平和な国に生まれた身として、戦争がある光景を「日常」として受け入れないようにしたいです。
リンク
本作に登場する映像の一部です。大体映画での使用順に並べています。