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【フィクション】【やばい映画】『呪い返し師—塩子誕生』感想 そんなに息子が嫌いになったのか、エル・カンターレ

※17000字くらいある記事なので先に書いておきますが、特にウルトラマンネタはありません。

「やばい映画」第二弾です。幸福の科学制作映画呪い返し師―塩子誕生』を鑑賞しましたので、感想を書いていきます。

作品紹介

幸福の科学制作の最新映画です。幸福の科学は90年代からコンスタントに映画を作り続けていることで有名で、公開作品は本作含め25本を数えます。

幸福の科学映画といえばかつてはアニメ作品が主体でした。2009年に公開された、大川隆法池田大作のサイキックバトルを描く『仏陀再誕』などが有名ですね(って書くと面白そうに見えますが実際は普通につまらないです)。

ところが、2017年に公開された『君のまなざし』を皮切りに、幸福の科学実写作品を積極的に制作していきます。これ以降毎年、多い時には年2本というペースで作品が公開されていますが、アニメ作品は『宇宙の法』シリーズの2本のみで、それ以外は全て実写です。

その『君のまなざし』を監督し、本作でもメガホンを取ったのが赤羽博という人物。ドラマ好きの方なら名前にピンとくるかも知れません。何を隠そう、赤羽監督はあの反町隆史主演のドラマ『GTO』を始め、多数のTVドラマを手掛けた大ベテランの映像作家なのです。

これ以降、赤羽監督は本作を含め実に5本もの幸福の科学映画を撮っています。パンフレットや各種メディアでの発言を見るとかなりシンパシーがあるように見えますが、信者なのかはわかりません。

2017年には女優の清水富美加幸福の科学に出家し「千眼美子」(せんげんよしこ)なる法名を受けるという事件も起きています。また、その翌年にはこれまでアニメ作品を積極的に手掛けていた大川隆法の長男が脱会しており、このような理由から幸福映画を取り巻く環境は大転換したのですね。

本作はそんな新時代の幸福映画の最新の一本。既に主要な映画館からはすずめの大群の飛来によってあっけなく絶滅してしまったこともありますので、以下ネタバレ全開で内容と感想を紹介します。

内容

スキップ不可ムービー

本作でまず目を引くのは、繰り返される変な演出変な歌変な映像です。

冒頭、いきなり鎌倉を旅する女性の映像が流れます。演歌調のBGMがかかり、映像もただ歌詞の内容をなぞっているだけという酷い演出なので、これが映画本編であることに全然気づきませんでした。

「人間界の恋なんてもう私にはできません/鎌倉の大仏しかもう愛せなくなりました」という歌と共に恍惚とした表情で何かを見上げる主人公・塩子。その視線の先には巨大な金ピカのエル・カンターレが。それは大仏じゃねえだろ!いや、教義的には根本仏って設定だから合ってるのか?まあいいや。

  • 設定上は「幸福の心」という宗教団体の施設で、塩子はそこの信者なのですが、この設定はあと2回くらいしか出てこないので忘れて大丈夫です。

この場末のカラオケムービーみたいなシュールな映像が終わると、いきなり話がスタートします。本作はオムニバス形式なのですが、一つの章が終わる度必ずムービーが挿入されるため、クソゲー特有のスキップ不可のムービーを見せられているようで鑑賞ストレスが非常に高かったです。

まずは「序の章」。舞台はとある女子校のオカルト部。ある日、部長の奈々子に異変が起きます。授業中、先生が神仏習合の歴史について解説する個性的な授業を行っていると、突然奈々子の頭の中に「死ねえ!死ねえ!」という謎の声が聞こえ、その場に倒れてしまいました。その首筋には原因不明の痣が!

オカルト部は当然これを霊障と断定。ネットで「呪い返し師」として話題の謎の女性の召喚を試みます。この下りは学校の怪談みたいで結構好きです。深夜、校舎の裏庭に五芒星を描き、中央に依頼書を置いて燃やします。なんかわくわくしますね。きっと今頃全国の学校で塩子召喚ごっこが大流行しているはず。

五芒星の中心に一陣のつむじ風が吹き…突如「デーン!デーンデーンデーン!」という大音量のBGMが!これは、塩子が召喚された際に必ず流れる「塩子登場のテーマ」。「来るぞ、来るぞ、来るぞー!来たぞ、来たぞ、来たぞー!」というどちらかと言えばバケモノ寄りの歌詞が特徴です。

で、塩子とオカルト部3人は部室に向かいます(なんで校舎開いてるの?)。塩子は部員に素うどんを奢らせた挙句、「大した呪いじゃない」などと言って対応を拒否する屑ですが、呪文を唱えると、奈々子に取り憑いていた霊が姿を表します。正体は小島愛というクラスメートの生霊…って誰だよ!いきなり出されてもわかんないよ!そういうのは伏線張っとけって!

学業でも恋でも奈々子に適うことが出来ないあまり嫉妬心を募らせ、それがあの歴史の授業の時に呪いとして降り掛かったそうです。塩子が空中に稲妻みたいな模様を描くと、ビームとなって生霊に直撃!空から大量の塩が(画面にうっすら「塩」と出てくるので間違いなく塩です)降り注ぎ、生霊は倒されました。

  • この時描く模様が「Z」に見えるため、今年の大川隆法ロシア寄りの言説を知っているウォッチャーの間で少しざわつきました。

序の章が終わると、再び謎のムービーが始まります。本編のカメラアングルはなかなかこだわりがあっていいんですが、このムービーは全て固定アングルで、しかも民生用のカメラでも使っているのか非常に画質が悪く、映画を映像で観るタイプの筆者的にはかなり不快でした。

まさかのコロナ禍映画!

最初が「序」だったので次は「破」かな?と思ったら「貪の章」でした。ということは次は急でもQでも𝄇でもなさそうです。というか、これを「とんのしょう」と正しく読める人は信者かウォッチャーかアンチしかいないような…

ある日、オカルト部員の一人である梨乃の祖母が詐欺の被害に遭います。自宅にかかった来た電話。若い男は電話口で告げました。「新型コロナ関連で自治体から給付金が支給されるのですが、期限が近くなってしまったので電話でご連絡させていただく形に…」そう、男はコロナ給付金詐欺師だった…ん?「コロナ給付金」?

なんと、本作の舞台はコロナ禍の中の日本だったのです!この展開には非常に驚きました。近年の日本映画でコロナ禍をストレートに設定に盛り込んだ作品は非常に珍しいと思います。…のですが、本作は登場人物が全員ノーマスクで、この後出てくる一般の大学や企業でも対面&ノーマスクが基本なので残念ながら全く設定を活かせていませんでした。

  • 別のウォッチャーの方が指摘していましたが、途中に挿入される新宿の街中の映像では当然ながら通行人がマスク姿なので、本編と情景がちぐはぐになってしまっています。

で、お婆さんはあっさり騙され、老後の蓄えを全額振り込んでしまいます。この手の詐欺だと「整理番号を送信する」などと嘘の説明をして巨額の入金操作をさせる手口が多い印象があるのですが、本作の給付金詐欺は「手付金に300万円必要なので振り込んでほしい」という恐ろしく雑な手口だったので余計に悲しい気持ちになりました。

大好きなお婆ちゃんの災難に凹んだ様子の梨乃。すると部員の中から「これも呪い…なのかな?」という声が。えっ?そして部員たちは塩子召喚の儀に入ります。…この判断は塩子が「呪い」を「自分のためなら他人が不幸になってもいいという気持ち」と定義したことが根拠で、今後もオカルトのオの字もない事件しか起きません。

とはいえ、給付金詐欺の犯人は突き止められておらず、このままでは「呪い返し」が出来ません。そこで3人は被疑者不明の依頼書を置き、とりあえず儀式を開始。すると一陣の風が吹き…塩子ではなく、詐欺師のアジトの住所が出現!『SPEC』の冷泉みたいでかっこいい!

一方の塩子は既にアジトにテレポートしており、詐欺師(のリーダー)に憑く地獄霊を召喚!デーン!デーンデーンデーン!地獄霊と塩子は多分地獄と思われるマクー空間みたいな場所に転送されますが、塩子は例のビームであっという間に倒してしまいます。いつの間にか縛られている詐欺師。するとそこにオカルト部3人が…お前らは来ちゃいかんだろ

と思ったら、オカルト部は警察を連れ立っていました。「お巡りさんこっちです!」という感じで詐欺師はその場で逮捕…ちょっと待った!君たちはどうやって詐欺の証拠を掴んだんだ?確かに詐欺師は途中で自白しているんですが、その時は警察は到着していません。というか到着した時点の状況だと捕まるのは塩子の方な気が…。

で、詐欺師から300万円を取り戻した(どうやって?)3人は梨乃のお婆ちゃんの元へ。どうして詐欺に騙されてしまったのかと問われ、「体が思うように動かなくなって皆に迷惑がかかるから、老人ホームに入ろうと思っていた」(詐欺師は老人ホームの提供をオプションとして告げていた)と明かします。

すると、塩子がお婆さんに問いかけます。「本当は老人ホームなんか入りたくなかったんじゃないですか?」いや、「なんか」ってなんだよ「なんか」って。「本当は家族と過ごしたい」という本心を引き出しますが、それは前提として、その思いの妨げとなる根本的な問題は解決してないじゃん。弱った足腰とかビームで治せないんですか?

そんなモヤモヤを残したまま塩子はどっかにテレポートしてしまい、貪の章は終わり。

最低な描写

再びスキップ不可ムービーが始まりますが、ここで地味な脚本ミスが。過去の回想で、海岸で奈々子の家族が偶然歩いていた塩子に記念撮影を頼むと、塩子は何かを感じ取り、奈々子に「あなた、嫉妬には気をつけなさい」と忠告します。あれ?じゃあなんで霊障を訴えられた時「大したことない」とか言ったの?塩子の態度が安定しません。

この後、塩子の正体が明かされます。学校のパンフレットを眺めていたオカルト部員たちが驚きの声を上げました。なんと塩子の正体は学園の理事長の娘で、パンフレットに堂々と写真が載っていたのです。筆者もこれには驚きました。何って、なんでそんな有名人の存在に誰も気づかないんだよ!表に出ない役職ならまだしも、広報として顔出しするぐらいなら行事に出席とかしてただろ!

というわけでお次は「瞋の章」(じんのしょう)です。今回の被害者はオカルト部員の一人である美樹と同じマンションの同じ階に住む女性で、夫からDVを受けています。ある日、夜遅く帰ってきた夫に「連絡もしないでどこほっつき歩いてたの!」と言うと「仕事に決まってるだろぉ!?」と逆ギレされ暴力の嵐。幼い娘は辛さから外に飛び出し、帰宅した美樹と鉢合わせに。お前もどこほっつき歩いてたんだ。

そして後日、例によって「これも呪いかも!」で塩子を召喚。デーン!デーンデーンデーン!DV夫に憑いていた呪いの正体は地獄の赤鬼でした。えー、ハテナが浮かんだ人の為に説明すると、近年の大川隆法には空前の地獄ブームが到来しており、来年の教義方針を示す「法シリーズ」の最新作も「地獄の法」です。本作のオカルト部の小道具にも赤鬼や餓鬼のフィギュアが置いてあります。

そのうえで「鬼」というのには特別な意味があるらしく(多分鬼滅の刃か何かに影響されたんだと思います)、以前機関誌の「ザ・リバティ」に「草津の赤鬼」の言として「LGBTQは地獄で釜茹でにされる」などという記事を書いて炎上していたりします。そういうわけで、赤鬼は本作において強キャラとして扱われてるんですが、CGが初代プレステ並のクオリティなのでなんか楽しい。

赤鬼は塩子に対し「強さこそが全て、自分は最強の存在になって全てを屈服させる」という野望を語ります。赤鬼、CV.立木文彦。塩子はそれに対し何か反論したのですがあんまりよく覚えてません。とにかく最後はビームで塩を降らせて解決。赤鬼は「ウオーー!!しょぺえええー!!!」と絶叫。あ、本当にしょっぱいんだ。

  • 立木さんは信者ではありません。

塩子が赤鬼を屈服させると、赤鬼は「俺より強い奴がいたとは…」みたいなことを言って、塩子に心酔し相棒となることを選択します。いや、割と熱い展開で個人的にはいいと思うんですが、その経緯だと最初の「力の強い者が正義」という主張が否定されないのでどうしてもモヤっとします。宗教映画としてどうなの?

で、DV夫は毒気を抜かれて改心する…のですが、塩子は憮然とした顔で妻の方に向き直り、「あんただって救い難いよ」と述べます。その手にはボクシングのグローブが。実は、妻はDV夫に対し恨みを募らせ、密かにボクシングジムに通っていました。そして、場面は最初の夫の帰宅シーン、の少し前に戻ります。そこには衝撃の光景が。

夫が帰宅した時点では泣き叫ぶ長男と放心状態の長女がリビングに佇んでいたのですが、実はその犯人は妻。妻は夫のDVで心を病み、児童虐待に手を染めていたのです。筆者はここで映像のミスリードが効いていたのもあり「おお、凄くリアルな社会問題を持ってきたな!」と若干感心したのですが…その後の展開が最悪でした。

塩子は妻に対し「夫の悩みに寄り添ってやらなかったあなたは救いようのない悪」などと言って除霊すら行わず立ち去ろうとします。ちょっと待て、なんだその対応は。強いて妻を叱る理由があるとすればそれは子供に手を上げたことだろ!さっきまでの解説シーンはなんだったんだよ!感心して損したよ!

「夫の悩みに〜」云々という妄言については大川隆法の昔からのミソジニーなので個人的には想定の範囲内でした。しかし、子供の安全を蔑ろにするというのは宗教的な意味でも、映画の不文律としてもアウトだと思います。幸福の科学の建前上の倫理にもそぐわない展開だと思うんですが、信者の人はマジでこれに納得したんですか?

  • なんでこんなことになってしまったのか?という点は後で考察したいと思います。

結局子供に懇願されて渋々除霊をした結果、妻に憑いていたのは阿修羅だと判明。結構凄い奴が出てきたような気がするんですが、塩子は特に何も対処せず終了。


ここから後半部分です。


詐欺より暴力より唯物論の方が悪い!

次は「癡の章」(ちのしょう)。ターゲットはとある大学の教授です。この教授はテレビにコメンテーターとして出演し、都内で多数観測される火球を「UFOなどではなくプラズマ」「全ての超常現象はプラズマで説明できる」などと断言します。

そんな大槻北村教授の講義は大教室が満員になるほど人気らしいのですが、そこで教授は「子供の頃人魂を見た」という学生と口論になります。学生はそれを祖父の死と結びつけることで人魂の正体は霊魂だと主張するのですが、教授は「非科学的な内容を書いたレポートに単位を出さない」と宣言。おいおい。本来判断すべきは結論ではなく論証過程のはず。学問の風上にもおけない教授です。

で、その学生というのが美樹の兄だったということで塩子召喚。デーン!デーンデーンデーン!ここまで来ると「パチンコ塩子誕生があったらリーチ演出に使えるな」とかどうでもいいことを考える余裕も出てきます。研究室に現れる塩子!不法侵入を主張する教授!なぜかいるオカルト部員たち!教授への呪い返しが始まる!

  • この下りは、現実の教団と仲の悪いジャーナリストの藤倉善郎建造物侵入で刑事告訴されたことを知っているウォッチャーの間でちょっと盛り上がりました。

塩子は教授に対し「霊魂の存在を否定し、人々に唯物論を教えたことで救いの機会を奪った」ことを問い詰めます。「えっ、そこなの?」と思った人は修行が足りない。「唯物論を広めることがこの世で最大の悪」というのは幸福の科学基本教義であり、映画でも定期的に描かれるテーマです。だから北村教授は詐欺師よりもDV男よりも悪いのです。

すると、ここで北村教授が反論。「神が存在するというのなら、なぜ戦争や疫病が無くならないんだ!」宗教の抱える本質的矛盾に思いっきり斬り込んだ先生!して塩子の答えは?「では、あなたはなぜビッグバンが起きたと思うのか!」噛み合ってねえ!ちゃんと質問に答えろ!見損なったぞ塩子。

  • この後塩子は「神仏は人間が自らの力で自らを律することを望み天から見守っている」という自己責任論みたいなことを言いますが、これも幸福の科学の教義です。

塩子がサイキックパワーを使うと再びマクー空間に転送。そこにはネイビーブルーのスーツにワインレッドのベスト、丸メガネで二本の角が生えたお笑い芸人みたいな風貌の悪霊が。パンフレットによると「唯物論の悪魔」という名前らしいです。塩子、呪術師→鬼狩り→デビルハンターと最近のブームを手堅く押さえています。

教義通り唯物論の悪魔は強力な敵で、塩子もそこそこ手こずります(とはいえ、傷つく描写とかは特にない)。するとそこにパワーちゃん例の立木赤鬼が出現。棍棒でバコーンとぶん殴り悪魔を圧倒。そして塩子がとどめを刺し見事悪魔をやっつけました。いやー熱いっすね。

毒気を抜かれた教授、勝手に研究室に塩を盛り始めた学生とオカルト部員に対し一言。「おー、これは本場の阿波の粗塩じゃないか!」「実は僕もね、子供の頃人魂を見たことがあるんだよ」教授は元々オカルト少年だったのが、勉強するうちに唯物論に取り込まれてしまっただけだったのです。

なんかシナリオを書いた人の理系に対するコンプレックスが透けて見えるようで悲しいですが、ちょっとほっこりするシーンですね。元ネタの先生はともかく懐疑論者の人はこういうタイプの方が多いから、総裁先生も怖がらなくていいよ!

えっ、こいつがラスボス?

筆者は教授を倒した話で本編は終わりだと思っていました(理由は後述)。ところが、スクリーンには字幕で「慢の章」(まんのしょう)と。実は、ここからが本作のクライマックスなのです。

いきなり「天道グループ」なる巨大企業が登場します。なんかどっかに伏線が張ってあったぽいんですが弱すぎて気づきませんでした。そこで新薬の発表をする御曹司・天道翼。資料によると新薬は遺伝子のテロメアを修復できるという速攻でノーベル賞ものの大発明なんですが、用途が「アンチエイジング」なのでインチキ商品の疑いがあります。

そんな翼には裏の顔がありました。どこかのバーで人気アナウンサーの上条さくらに色目を使っています。さくらもだんだんとその気になっていい雰囲気になるのですが、実は翼には他の女がいました。夜の波止場で逢い引きをする二人。翼は何食わぬ顔で歯の浮くような言葉をかけています。

…えー、この平成初期の墓から蘇ったような雑なメロドラマがこの後延々と20分くらい続きます。いい加減にしてくれ。要するに天道翼というのはいくつもの女性に言い寄っては手篭めにし、事業では親の手柄を横取りした上でその親の死を願っているどうしようもない男だということが言いたいようです。

  • ここで本作の意図に気づいてしまった人は鋭いですよ。後で筆者の考察を述べます。

で、言い寄られた女の一人が新薬開発リーダーの麗奈という人物で、オカルト部の学校の卒業生だったことから調査を依頼されます(この設定は後でパンフレットで知りました)。さくらと他の女が地下駐車場で修羅場になっているところに何故か居合わせるオカルト部。でもここは明らかにギャグとして撮ってるので面白かった。

オカルト部が翼の被害者の女性たちおよそ12人を集めて塩子を召喚。すると塩子は一言「鍋焼きうどんが食べたい!」。は?どうやらここぞという時にうどんを食べるのが塩子の習性なんだそうですが、その描写が最初と最後の2回しか出てこないので説得力がありません。塩子は翼に憑く霊の正体を「大天狗」だと看破します。大天狗は非常に強力な呪いの力を持っているそうで、対処が難しいのだとか。

そして、オカルト部の後押しを受けて塩子は翼との対決に挑みます。いつものようなサイキック不法侵入ではなく、財閥令嬢でハーバード大MBA取得という自身の肩書、そして美貌(という設定)を利用し、社交パーティーに潜入して翼に直接接近します。ここはちょっとワクワクしました。

翼は塩子を品定めし、自分のものにしようと言い寄り始めます。まんまと策略に乗ったところで塩子が指を鳴らすと、「狗神」なる場所にいきなり転送。呪い返し師に変身した塩子は翼には30人以上の被害者がいることを告発し、懺悔を迫ります。翼は何食わぬ顔で自分は全てを手に入れて当然の人間なのだと主張します。

…えっ?まさかこんな何の貫禄もない奴がラスボスなんですか?筆者の心配をヨソに塩子は翼に憑く大天狗を召喚。大天狗は「俺が本物の宇宙神なんだあ!」などと意味不明なことを言って暴れまわりますが、塩子の技が一切効かず、さらに反撃を受け初めて手傷を負ってしまいます。マジでこいつがラスボスなのかよ…

最早絶体絶命か、と思われたところに赤鬼登場!なんでこいついつも遅刻してくるんだろう。赤鬼はなんとか大天狗をグルグル巻きにし、塩子がZビームで成敗!現実でもグルグル巻きにされている翼。塩子は翼に「親の苦労を理解しろ」と説教します。

ラスト、ポスター発表をするオカルト部。そこには塩子の姿と、人を呪いにかける「心の三毒」の説明、そして悪い心を持たずに善く生きることを説き…うわあ、完全に宗教に染まってるよ。怖すぎるオチで映画は終了しました。

で、「塩子誕生」ってなんだったの?

感想

脚本が酷い

本作を一本の映画として観た場合、撮影と編集は流石にベテランという感じで(幕間の謎ムービーはともかく)本筋に関してはこれといった瑕疵はありません。企画が酷いのはカルト宗教の映画なんだから当たり前として、それ以前に脚本の粗が多すぎます。

まず、設定に対して描写が合っていない点です。既に示した「コロナ禍なのにノーマスク」の他にもおかしな点がいくつかありました。鑑賞して最初に違和感を持ったのはオカルト部が塩子を知る下りです。塩子は「ネットで話題の呪い返し師」なのですが、主人公たちはそのことを『オリハルコン』なるムーみたいなオカルト雑誌で知ります。

これは現代の女子高生の描写として非常にヘンテコ。一瞬、本作の女子校のロケ地である幸福の科学学園がネット使用を極端に制限していることの反映かと思いましたが、同校は全寮制なのに対し本作はそうではありません(さらに言えば女子校でもない)。そもそも、本作では登場人物がインターネットを使う描写がごく僅かしか出てこないのです。

このように、本作は「コロナ禍」「インターネット」など現代的なワードを登場させつつも実態は皆無で、実際に描かれるのはオカルト雑誌・大槻教授もどきの反オカルト学者・出来の悪い昼ドラみたいな展開と妙な90年代感があり、パラレルワールドに迷い込んでしまったような不思議な気分になります。

  • 信者にインターネットに触れさせたくないのだろうか?とも考えましたが、(教団にそういう考えはあるだろうことは前提として)この場合は単に総裁先生の頭の中が古いだけと考えるのが自然だと思いました。

また、本作はオムニバスで、悪役の描かれ方が極端、塩子は「はぁ!?」などキレ気味に相手を論破しようとし、最後は「お前の正邪は判定された!お前は悪である!」という決め台詞を唱え一方的に成敗するなど、どことなくネットで人気の「スカッと動画」っぽさを湛えています。信者の人にとってはきっと気持ち良いのでしょう。

その一方で、劇中に挿入される「塩子登場のテーマ」の「来るぞ/来るぞ/来るぞ」「来たぞ/来たぞ/来たぞ」という三連構成は、例えば「あれは/誰だ/誰だ/誰だ」とか「燃え上がれ/燃え上がれ/燃え上がれ/ガンダム」みたいな、7、80年代アニソンっぽさがありますよね。この辺もなんだかちぐはぐだと思うんです。

さらに言えば、本作は意外に現実的な論点を提示しています。貪の章は「家族と過ごしたい高齢者と、それを叶えられない福祉の現実」、瞋の章は「配偶者からのDV被害を子供にぶつけてしまう親」、癡の章は「人類の課題を解決できない宗教の存在価値」という風にまとめられます。

しかし、塩子はそうした難しい論点に正面から向き合うことなく、目の前で起きていることを短絡的に解釈し、その場の「正邪」のみを判定して解決した気になっているだけで、実際には何の解決にもなっていません。まるで教団の実態そのものにも見えますが、これはもっと創作技術な意味での問題だと思うんですよね。

そもそも、スカッとする話を描きたいんだったらそんな難しい命題を設定する必要はないんですよ。悪人と善人の境界はもっと明白であるべきで、設定はとびきりフィクショナルで構わないはず。とにかく、「描きたいこと」と「描いていること」がバラバラで上手くまとまっていない印象を受ける映画でした。

  • この問題の一つの反映として、パンフレットに載っているインタビューでは、信者の役者は「この作品で善悪を学んでほしい」と言っているのに対し、非信者の役者は「悪役の人生に注目してほしい」と真逆のことを述べています。

あと余談になりますが、演技について言えば、オカルト部三人の演技はハキハキとしつつコミカルで、求められている役割をきちんと演じられている雰囲気があってよかったです(スケジュールの関係か時々二人になっているのが気になりましたが)。あと、北村教授役のモロ師岡もさすがベテランという感じでよかった。

  • モロさんは信者ではありません。

一方で主演の希島凛の演技は酷かったです。作中で茶道や華道をするシーンがあるのですが、動きを一生懸命真似している感じがあって凄くぎこちなかった。弓を引くシーンも体幹がブレブレでとてもまっすぐ飛んでいきそうにありませんでした。ちゃんとした指導をつけてください。

あと、近年の幸福映画に顕著な問題ですが、登場人物の美人度をメイクの濃さで表現するのは下品なので改めるべきです。仮に総裁先生の趣味だとしても。

これは「布教映画」なのか?

先程、筆者は「北村教授がラスボスだと思っていた」と述べましたが、その理由は「貪・瞋・癡」という章立てにあります。幸福の科学とは関係なく仏教に造詣ある方なら説明不要でしょうが、これはお釈迦様が最古の経典の中で説いている「克服すべき基本的な煩悩」を表す言葉で、よく「三毒」と括られます。

幸福の科学では昔からこの三毒の概念(「心の三毒」と呼んでいます)を活用しており、本作においてもそれぞれのキャラクターに反映されているわけです。すなわち、「貪」(貪り)は詐欺、「瞋」(怒り)はDVそれを恨む妻、「癡」(愚かさ)は無神論を教えることです。「癡」の解釈が独特な気がしますが、これは元々の「真理への理解がない」という意味を幸福ナイズした結果です。

そういうわけで、本来であれば北村教授の事件で作品としては上手くまとまっていたはずなんです。少なくとも「最大の悪は仏法真理に気づく機会を奪う唯物論的教育者だ」というのは宗教っぽさがあるし、塩子も「真のエリートとは人類の幸福に尽くせる者だ」という趣旨のまとめに入った感じのことを述べていました。

  • その後で「知識ではなく、時には幼子の如き清らかさも必要だ」という正直すぎる台詞を吐いていたので笑いそうになったんですが。

ところがここで問題の章が出てきます。「」です。おそらく語源は『倶舎論』などに登場する「根本煩悩」なのだと思いますが、本来の根本煩悩は「貪・瞋・癡・慢・疑・悪見」の6種類あり、「慢」だけを抜き出すのはかなり不自然な感じがあります。しかもそれぞれの煩悩は独立であり、本作のような強弱の概念はありません

しかし、作中では「慢」に該当する天道翼(に憑く大天狗)が最強のラスボスであるかのように扱われており、塩子への反撃に唯一成功する相手でもあります。これまで保ってきた「スカッと動画」的構造すら破壊し、それ以外の章の倍ぐらいの時間を使ってじっくりと描かれるところからも特別感が際立っています。

さて、信者、ウォッチャー、アンチの間では天道翼には明確なモデルがいることはとっくにわかっています。それは、幸福の科学が敵視する大川隆法の長男及び三男です。

塩子は作中、天狗について「金持ち天狗、イケメン天狗、学歴天狗がいる」というしょうもない解説を披露するのですが、おそらく「金持ち」は両者、「学歴」は東大卒の三男でしょう。「イケメン」はどっちかよくわかりません。また、「女癖が悪い」は(少なくとも教団側から見た)長男から(追記:詳しい方によると三男の可能性ありとのこと)来ているのでしょう。

そして、翼に対して塩子は「自分を育ててくれた親への恩も忘れて自分が最も優れているのだと自惚れるな」と罵倒します。この時流れるのはいつものテーマではなく『さらば、うぬぼれ天狗』という個別曲で、「どこまでうぬぼれたら気が済むの」「自分を神だと思ったか」などという歌詞になっています。

ここ数年の幸福の科学では、長男が脱会し教祖の家庭の内情をあれこれ暴露されたことが相当堪えたらしく、教団の公式SNSアカウントを使って長男を罵倒する投稿をさせたり、長男の霊言長男をモデルとした小説などを次々発表し、全力を挙げての誹謗中傷に取り掛かっています。

これは、2012年に当時の妻きょう子と離婚した際の行動に類似します。大川隆法元妻の悪口をひたすら言いまくる書籍を出版したり、「悪妻封印祈願」なるものを執り行ったりしていました。赤羽監督の過去作『美しき誘惑〜現代の「画皮」〜』『世界から希望が消えたなら。』には彼女をモデルにしたと思われる悪役も登場します。

つまり、本作は「幸福の科学の教義を世に広めるための映画」というよりは、大川隆法個人が教団というリソースを用いて行った壮大なる長男イビリの一環であると解釈するほうが自然であると言えます。だからこそ無神論を広める」という宗教的な罪より「父親に歯向かう」という私怨の方が強大という筋立てになったのではないでしょうか。

しかし、そう考えて本作を鑑賞すると非常におぞましい光景です。特に終盤、縄でグルグル巻きにされた翼を総勢16人の女性たちが取り囲み、さらに女子高生であるオカルト部3人を含め一人ずつ罵倒していく様子は、まるで大川隆法の脳内を直接覗いているかのようで、鑑賞していて身の毛がよだつ思いでした。これが、本作の持つ真の恐怖です。

えー、以下はここまで真剣に読んでいただいた方には読み飛ばしてほしい余談なんですが、筆者が本作に求めていたオチはこんな感じでした。

作中で何度も「都内に謎の火球出現、UFOでないかと噂立つ」というニュースが挿入されていました。これは結局北村教授を出すためだけの伏線だったんですが、これを全面活用してほしかったんですよね。つまり、火球は本当にUFOで、宇宙人が日本に攻めてくる兆候だった。そして北村教授は無神論に染まってしまったあまり心に隙を作り、宇宙人の情報操作に加担してしまっていた!

北村教授の情報操作も功を奏し日本はあっという間に宇宙人に侵略されてしまい、無神論の支配する独裁国家へ…その時塩子立つ!宇宙人をサイキックパワーで撃退しようとするも、敵の強大な武力に一度は敗北。しかし、ここで北村教授が改心!自身の技術で霊力を増幅する機械を製作、赤鬼も加勢し最後は見事宇宙人を撃退!こうして日本は平和になった…

まあ何って、仏陀再誕』と『神秘の法』のパクリなんですが、かつて宇宙人ブームが来ていた頃の総裁先生なら絶対こういうストーリーにしたと思うんです。そういう意味でも、本作における変節は悲しかったですね。

ジェンダー観の揺らぎ

最後に指摘しておきたいのが、本作における「女性」の立ち位置の奇妙さです。先述した通り、大川隆法には昔から昭和的な女性蔑視傾向があり、教団でも「妻は夫に傅き、支えなければならない」という教義が一貫して説かれています。

一方、本作で示されるストーリーは、悪事を働く男を女手一つで圧倒するという、どちらかと言えば現代的な「強い女性」っぽい雰囲気になっています。この傾向は、これまでの幸福の科学映画で宗教に入信している(=正義の味方)キャラ付けは基本的に男性が担っていたところ、本作では塩子に与えられていることからもわかります。

さて、天道翼のモデルが長男と三男であるように、塩子にもモデルがいます。まず、名前自体が大川隆法の現在の妻で本作の企画担当でもある紫央(しお)から取られています(そこに「子」を付ける総裁先生のセンス)。もう一つ、塩子のモデルは本作の戦犯脚本を担当し、「さらば、うぬぼれ天狗」の歌手を務めている長女・咲也加ではないかと言われています。

大川咲也加は近年外部への露出を強めており、2018年には大川隆法の著書の中で後継者の最有力候補として挙げられています。つまり、幸福の科学は教義として女性を劣等な存在として扱いつつも、自身の後継は女性に譲らざるを得ない状況になっているのです。

  • 教祖の娘が後継者になるという点は、皮肉にも幸福の科学のモデルとなり、後に袂を分かった新宗教団体GLAと同じです。

本作には、そのような現状から来る葛藤が反映されたと思われるシーンがいくつかありました。例えば、塩子は時折「幸福の心」の仏像(?)を拝み、慕う様子がみられますが、かつてはここに生身の教祖がいたはずでした。なんか総裁先生がホトケになってしまったようで悲しい雰囲気があります。

さらに、天狗神社で天道翼と対決する前、突然塩子はさくらの方に向き直り、「あなたにも打算の気持ちがあったのではないか」とおざなりな説教をします。これも、従来の「悪い男に騙されるのは女のほうが悪い」という大川隆法の個人的観念と、息子の女癖を問題にしたい現状とがせめぎ合った結果生まれたシーンだと考えることが出来るのではないでしょうか。

その代わりにとばっちりを食ってしまったのが「瞋の章」のDV被害妻です。先程成敗の描写のまずさを指摘しましたが、パンフレットの人物相関図を見ても、妻から夫の矢印には「夫を支えずただ恨みを募らせる」とのみ書かれていて、児童虐待については完全にオミットされていました。「女が悪い」という従来の観念は全てこのキャラクターに押し付けられたと言えます。

そういう感じで、本作からは近年の教団におけるジェンダー観の揺らぎみたいなものを感じました。

おわりに

実のところ、本作に限らず幸福映画には少なからず教祖の個人的感情が反映されています。本作はそれが宗教的な意味付けをかなぐり捨てるほどに色濃かった点で特異でしたが、裏返せば幸福の科学というのは教祖の個人的感情に宗教的な色を付けたものを教義と称しているわけです。

この結果起きるのが、教祖の脳内が信者に直接コピーされてしまうという問題です。昨今出版された、いわゆる宗教二世を題材にした漫画、菊池真理子「神様」のいる家で育ちました〜宗教二世なわたしたち〜』(文藝春秋)の第5話では、実在の幸福の科学の元二世をモデルとしたエピソードが描かれています。

この中で、主人公は小学生の頃から「総裁先生も勧められている」という理由で東大一本に絞った受験生活を始めることになります。ところが現実は上手くゆかず中学生にして挫折、母親からは「エリートになって教団の役に立てない役立たず」と罵倒され、自己嫌悪に陥ってしまいます。そこに教団の作った学校(幸福の科学学園)の入学案内が届く…という展開になります。

このエピソード、脱会した長男がTwitterに投稿した次男の裏話によく似ています。長男の言によると、次男は開成高校に入学するも成績が振るわず東大を諦め早稲田に進学するのですが、父親である大川隆法からは「学費が無駄だ、この穀潰しが」と罵倒されたそうです(ただし、長男は発言を盛る傾向があります)。早稲田が可哀想。

さて、この第5話は元々集英社のコミックサイトに掲載されていたのですが、掲載直後に教団が会社に対し「信者の信仰心を傷つけた」などとクレームを入れ、当該話のみならず作品全体を削除に追いやっています。つまり、この東大絡みのエピソードは信仰に基づくものだと教団側が認めているわけです。宗教団体の教祖が特定の大学を勧める信仰というのは非常に奇妙に思います。

繰り返しになりますが、本作における「呪い」の定義は「自分のためなら他人がどうなってもいいと思う心」のこと。一方で、「呪い」という言葉は近年「対象を過剰に縛り付け、無用な生きづらさを与える偏見や誤った理論」を表すスラングとしても用いられつつあります。

幸福の科学という教団、そして教祖たる大川隆法の行っていることは、まさにこの2つの「呪い」の定義のどちらにも該当すると言えるのではないでしょうか。教団の被害を受けた人で集まって五芒星を描き、塩子を召喚してみましょうかね?教祖の正邪を判定していただきたいところです。

…あと、今からでも検討してくれませんか?エイリアンvs塩子